亀 | ぼくはきっと魔法を使う

ぼくはきっと魔法を使う

半分創作、半分事実。
幼い頃の想い出を基に、簡単な物語を書きます。
ちょっと不思議な、
ありそうで、なさそうな、そんな。

亀を飼ったことがある。

 

僕が小学生の頃の夏休みだ。

その日は、午後から小学校のプールが開放される日だったので、泳ぎに行ってきた。

夕方、家に帰ると父に言われた。

 

「清、今から花火を見に行くぞ。」

 

父は花火が大好きだった。

夏になると花火セットを買ってきて、縁側に座り、家族3人で花火をした。

この日は、新聞に花火大会の広告を見つけ行く事を決めたらしかった。

思い立ったらすぐ行動、それが僕の父だった。

 

会場は少し遠かったので車で出掛けた。

駐車場を降りてからの記憶はあまりない。

母に手を引かれ、人混みの中を歩いた。

気づくと屋台がたくさん並んでいて、僕はその中に「亀釣り」の屋台を見つけた。

1回200円。

父に頼んで1回やらせてもらう事になった。

「亀釣り」なんて珍しかったので、それで父は了承してくれたんだと思う。

水槽の中には沢山の亀がいた。

石の上で首を伸ばしてぼけっとしているものや、水槽の側面で足をばたつかせているもの、甲羅の中に篭って水の中に沈んでいるもの、など。

僕は屋台のおじさんから割り箸でできた釣竿を受け取った。

亀たちの体は紐で十字に縛られており、その交差点に釣り針を引っ掛ける、という仕組みだった。

釣竿から垂れている糸の先には針が付いているが、糸と針は紙縒りで繋がれていた。

つまり、間違って紙縒りを水に漬けてしまうと亀を吊り上げるのは難しくなる。

僕はなるべく水に漬けないように水から体を出している亀に狙いを定めた。

すると、右奥で壁に足を付いて立ち上がったのがいたので、その亀の紐に針を引っ掛けた。

宙ぶらりんになった亀は空中で首と足を甲羅の中に引っ込め、その状態のまま水の入った小さな水槽に入れられた。

 

「生き物を飼う、という経験はしておいた方がいい。」

 

父はそう言った。

 

僕はずっと水槽の中を見ていた。

母に手を引かれ屋台の人混みの中を歩いている最中もずっと。

何度か人とぶつかり、少し水がこぼれた。

花火の大きな音がすると、亀はしゅっと首と足を一瞬引っ込めようとするが、やがてゆっくりと元の状態に戻す。

その一連の行動がとても面白かったのだ。

帰りの車の中でも僕はずっと水槽を覗いていた。

車の中では亀はずっと足をばたつかせていた。

花火大会の翌日もプール開放日だったが、この日はプールには行かずペットショップで少し大きめの水槽と亀の餌を飼ってきた。

早速大きめの水槽に移してやると、亀は気持ち良さそうにすいすい泳いだ。

餌をやると、首を伸ばして口をパクパクさせた。

 

でもやっぱり水槽じゃあかわいそうだ。

ある日、僕はそう言った。

水槽の中を時々足を滑らせながらカサカサ動く亀を見て思ったのだ。

するとそれを聞いていた父が、次の休みの日に庭を掘り出した。

何してるの?と訊くと、

 

「ここに池を作るぞ。」

 

と父は答えた。

 

その日の内に池は完成した。

水を入れ替えれるように水路も作られており、周りを石で囲われたその池は、小さいが立派な仕上がりだった。

その池に亀を放してやると、前より一層気持ち良さそうに泳いだ。

小鳥もやってきた。

水を飲んでまた飛んでいった。

 

次の日、仕事から帰ってきた父が車から何やら運んできた。

 

「おーい。清、香苗、手伝ってくれぃ。」

 

父は大きな石を両腕に抱えていた。

それを前日に作った池にぼちゃんと入れた。

水面から石の頭がちょっと出ていた。

 

「これで亀が日向ぼっこ出来る様になったぞ。」

 

亀はその石をとても気に入ったようだった。

天気がいい日には石の上に登り、天に向かってぐっと首を伸ばしていた。

僕はその様子を縁側に座ってじっと眺めていた。

 

鶴は千年、亀は万年・・・と言うが、あの亀は今どうしているのだろう?

というのも、そのあとしばらくして大きな台風がきた。

亀はその時の大雨で流されてしまったようで、大雨の翌朝、庭に出るとそこには水が溢れた小さな池だけが残っていた。

亀の姿はなかった。

 

もう20年以上も前の話だ。

僕はあの時と同じように縁側に腰を下ろし、庭を眺めている。

庭の池には水はなく、ただの大きな穴になっている。

そして今や、父もこの世にはいない。

 

今日は父の葬式だ。