「先生・・・。今見学に来てた学生に訊かれたんですが・・・」
「なんだね?」
「なんで数学の研究室なのに、こんなにたくさん宇宙関連の本があるのか…と。」
「まあ、私が宇宙に興味があるから…だろうな。」
黒野教授は宇宙論の知識も豊富だ。
数学に負けず劣らず。
「先生、今年の七夕は雨でしたね。」
「うむ。しかし、織姫と彦星は今年も会えたわけだ。よかったではないか。」
「え?先生?雨でしたよね?」
「雨だった。」
「会えたんですか?」
「会えた。」
「僕が聞いた話では、七夕に雨が降ってしまうと天の川の水かさが増して、二人は川を渡れず、会うことができないと・・・。」
教授は回転椅子に乗ったままクルリとこちらを向いた。
「七夕の物語が中国から伝わった話だということは知っているかな?」
「いえ、そうなんですか?」
「天の川は英語で“The Milky Way”。ギリシャ神話の大神・ゼウスの妻・ヘラの母乳がこぼれたもの、と考えられていた。確かに、本物の天の川はほの白い乳のように見える。」
先生は一枚の写真を引き出しから取り出した。
秋川は以前にも見せてもらったことがあった。
教授がオーストラリアに行ったときに撮ったものだ。
「中国では漢水という川が空につながって天の川になったと考えられてきた。君は織姫星と夏彦星がどの星座の何という星に相当すると思う?」
「確か、織姫はこと座のベガで、夏彦星って彦星のことですよね?彦星ははくちょう座のアルタイルです。」
「そうだ。織姫は天帝の娘で機織の名人、夏彦は牛追い。二人共とても働き者で、それ故、天帝は二人の結婚を認めた。」
「なるほど。」
「しかし、この二人、結婚生活が楽しすぎた。ついには織姫は機織をしなくなり、夏彦は牛を追わなくなった。」
「ありがちな話ですね。」
「天帝は怒った。そして2人を天の川を隔てて引き離したんだ。しかし、年に1度だけ7月7日には会うことを許したそうだ。」
「でも、その日に雨が降ってしまうと、漢水の水かさが増してしまい、川を渡れない。」
「そうだ。しかしそんな時は、どこからともなくカササギという鳥がやってきて、天の川に自分の体で橋を架けてくれるそうだ。」
「なるほど。それで、雨でも二人は会えると・・・。それを黙って見守っている天帝は、実は優しいんですね。」
「そうかもしれんな。・・・しかし、男と女というのは・・・」
教授は急に話を止めた。
「どうしました、先生?」
「君は何故か知っているかね?」
そう言って教授は紙に何やら書きだした。
『♂ ♀』
「この“男”と“女”、二つの記号の由来を。」