「数学者はロマンチスト、医者は現実主義者。」
「・・・そうかもしれんな。」
「なんだ?それ?」
黒野教授にも友達はいる。
春日と鶴田は高校の頃の同級生だ。
現在、春日は医者をしている。
鶴田は高校を出てすぐに実家の花火屋を継いだ。
時々こうして3人で酒を飲む。
「現代数学の公理は集合論だが、その前提は何だ?黒野。」
「空集合φ(ファイ)。0が存在することだ。」
春日は箸を置き、杯を手に取り、
「そうだ。0には証明もパラドックスもない。医者にとって0とは“死”のことだ。」
「それとさっきの話、どんな関係があるんだ?」
日本酒を一口。
「俺たち医者は“死”の存在を知ればいい。それ以上を考える数学者はロマンチストだ。」
「それ以上・・・?」
「そうだ、数学者は“無限”を考える。それはロマンチストがやることだ。私はそう思う。」
「無限?」
「ロシアの数学者・カントールは無限に取り憑かれて心を病んでしまった、そうだろ?黒野。」
黒野教授は箸で鶴田を指した。
「鶴田、整数と偶数はどちらが多いと思う?」
「お?・・・そりゃぁ・・・整数じゃないのか?」
「普通に考えればそうなる。しかし無限で考えるとそうはならない。」
教授は内ポケットからペンを取り出し、机に数式を書き出した。
2*n=偶数
「この式を考えてみる・・・。」
2*(-1)=-2
2*0=0
2*1=2
2*2=4
2*3=6
「こう考えていくと整数と偶数は1:1に対応する。つまり、整数と偶数は同じ数だけ無限に存在する。」
「確かに・・・。」
「これを『可算無限集合』と呼ぶ。これら無限について発見したのがカントールだ。」
教授は杯に残った酒を飲み干した。
「では、春日、整数と分数で表せれる有理数はどちらが多いと考える?」
「有理数だ。カントールはそれも可算無限集合であることを証明した。」
「そうだ。このようにカントールは数えられる無限を『アレフ・ゼロ』と名付けた。彼は、無限にも種類があり、アレフ無限に続くと考えた。そして遂にある説を考え出してしまう・・・。」
『連続体仮説』。
それは無限を支配する悪魔の公式。
これを証明しようとした彼は、精神に異常をきたしてしまった。
「それだけじゃない。チェコの数学者・ゲーテルは、これが現在では証明不可能な命題であることを示す『不完全性定理』を完成させた。だが彼も無限に取り憑かれ、心を壊してしまった。」
「恐ろしい話だな・・・。」
「全くだよ。目に見えないものを追い求めて、遂にはおかしくなっちまう・・・。」
「だが、それは数の世界での話だ。」
教授は二人の杯に酒を注いだ。
「無限の友情。」
「黒野、相変わらずだな。」
「ホント、昔と全く変ってない。」
3人は再び杯を鳴らした。