非同盟諸国ってのがあるらしい、イスラエルがイランを攻撃する可能性が高いという話らしい。

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20120818-00000044-mai-int

で、メルカバー戦車も健在らしいのだけれど、

「ぇ?また戦争はじまるの?」という感じで、調べ物をしていたら、非同盟諸国というのに行き着いた。


非同盟諸国ってなんだろう??


第二次世界大戦後の東西冷戦期以降に、東西いずれの陣営にも

公式には加盟していない諸国による国際組織である。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%9D%9E%E5%90%8C%E7%9B%9F


と、wikipediaに書いてあった。



そんなのあるのかぁ、と思った。 うん、、、。



最近、領有権のニュースが多いけど、ロシアとまた交渉が難航してる模様。

韓国もそうだけど、ロシアには徴兵制度があるわけであって、

徴兵制のある国と日本の感覚で話をするのは無理があると思うんだ、、、。


かといって、国家が歴史の成否についてとりきめる議長を任命するというのは、

日本の感覚からして無理があると思うんだ、、。教育の独立性と大学の自治とかあるし。

ロシア主催で歴史研究機関をつくって、そこに日本の大学が任意に参加する形でないと無理じゃ?

とりあえず、議長任命は断っておこうよ、、外相、、、。


ロシア外相は、日露の両方の世論が良くないと

選挙で選ばれた政治家が交渉に応じられるわけないじゃんということを言ってるらしいけど、

まぁ、たしかにわかりやすい理屈だと思う。実際そうだし。

震災のときは、北海道にロシアから原油提供してもらってるし、

ロシア側は国交継続の意志はあるわけだけど、、、。

国防戦力以上の兵力を北方領土に常備しようとしてる点には疑問がある、

だって、それをやりはじめると話し合いがよけに長引く、、、。

戦術的抑止力で外交を進められると、日本は憲法改正を言い始める人がでてくるので、

それこそ、外相だけで話ができる問題じゃなくなってくるかも。

まぁ、北方領土問題を手柄にしようとしてる日本の政治体質にも問題あるんだろうけどさ、、、。

そこは、あくまでも戦後処理であって領土問題ではないんだって意識が必要だったのかもね、、、。


ロ外相“日本の反発で領土問題進まず


http://www3.nhk.or.jp/news/html/20120826/k10014538541000.html



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グローバルディベートWISDOMという番組がある。

http://www.nhk.or.jp/wisdom/


子どもたちを苦しめ、時に死へと追いやる「いじめ」。
世界各国でこれまで、いじめを防ごうと様々な取り組みが行われてきましたが、

問題解決の決め手は見つかっていないのが実情です。


というテーマで、8月25日に放送されたもので、

冒頭VTRの後に私が投稿した文章の一部が読まれた。

あなたのいじめられた経験云々について


「これまでに送られてきたメッセージです

30代の男性の方からいただきました、

子供のころからイジメをよく受けていました。

周囲とうまくコミュニケーションがとれないことで、

周囲をイラだたせてしまいイジメを受けたのかもしれません。

私は、子供が受けるいじめというのは、大人の責任だと思うのです。

多くの有識者は、子供特有の問題といいますが、間違っています。

周囲の環境をつくる大人のせいなのです。

というメッセージをいただきました。」


と、まぁ滝川さんが読んでいたんだけど。


率直な感想が2つあった。

「ぉぉ、NHKちゃんと送ったメール読んでくれるんだ。」

「ん?だいぶ原文から編集カットされてない?」

というふたつの感想だった。


翌日(今日)再放送されてたので録画して、聴き直してみたけど、

勘違いじゃなくて、間違いなく、私が送ったメッセージの一部を編集して読んでるだと確認。


まぁ、だから何? と言う話にきこえるかもしれない。


不快に感じたのは、編集されているというのがわからないという点、、、。


言論・出版の自由に繋がって「報道の自由」というものがある。

取材内容を自由に編集して自由に報道してよいという権利だ。

それは、理解できる。けど、映像でシーンカットされていれば編集があるとわかるけど、

あの場合だと、編集されてるかどうかわからなくない??

「送られてきたメッセージの一部です。とか、内容の一部は伏せて番組でとりあげます。」

とか、一言つけくわえるとかそういう発想はなかったのかな、、、とか、いろいろ考えた。

極論からすると、存在しない30歳男性を番組で、でっちあげてない?とも思った。


送った原文の内容は、大まかに


「子供のころからイジメをよく受けていました。

(最近、自閉症のような診断がでたので、そういったことが原因で、)

周囲とうまくコミュニケーションがとれないことで、

周囲をイラだたせてしまいイジメを受けたのかもしれません。

(子供の頃に、イジメを苦に自殺騒動を起こしたことがあります、死ぬ気でしたが、

 子供の浅知恵だったのか、中途半端な高さから飛び降りようとしたので、

 これじゃ死ねないなと思って躊躇して未遂に終わりました。

 その後に担任教師から「死ぬなら死ね。」と窓から吊るされたりしました、

 親には恐ろしいほど殴られました。別の教師の中には、もっとあいつをいじめろと

 他の生徒に指示していた先生がいたような感じだったと最近、知りました。)

私は、子供が受けるいじめというのは、大人の責任だと思うのです。

多くの有識者は、子供特有の問題といいますが、間違っています。

周囲の環境をつくる大人のせいなのです。」


というのを送ったのです、、、。


さすがに、そんな投稿が来ましたとはテレビで言えないだろうから、

伏せて、取材ネタとして使えそうなとこだけとりあげたんだろうけど、

なんか意味合い違ってきてませんか?と思った。


ニュースJAPANで原稿の内容がはしょられるのが嫌で(これは憶測だけど。)

機嫌悪かった滝川さんが読む原稿としてどうなんだろ。


と思った。


番組の名前かわっちまったけど、WISDOMにはかなり期待してるだけに、

プロジェクトウィズダムのころのエジプトの憲法制定の時もそうだったけど、

たまに不自然な編集はいるのがいただけないかも。

子供には、子供の社会があると思う。子供同士の人間関係に親が口をはさめば、たちまちねじれて問題の発生の原因になるのだと思う。
最近の映画でいえば、「スーパー8」という映画がある、
子供同士は、純粋に仲良く映画製作ごっこで遊んでいる。
しかし、親同士が「ジョーとは遊ぶな。アリスとは関わるな。」と、
間に口を挟むシーンがある、どこの家庭でもあると思う。
映画では、双方の親が和解してSFめいたエンディングを迎えるけれど、
実社会では、そうはならないだろうし、いつか子供同士の関係に
おかしなボーダーラインが生まれてギクシャクして、いじめも起こると思う。

冒頭から、論点がずれてしまったが、何が言いたいかというと、
「いじめを定義するのは誰?」という事。
子供達に、何がイジメで、何がイジメでないか決める権利があるだろうか?
「いじめ対策法」で、いじめの定義を作ったとしても、それを作るのは
大人であって、子供達ではない。彼らに、いじめを定義する権利はないし、
極端に言うと、何がイジメで何がイジメでないのか知る方法もない。
花一匁という遊びがある、その遊びで「この子がいらん。」と、
言われたらいじめだろうか?ケースバイケースだと思う。
それがイジメであるかどうかを決めるのが、大人でいいのだろうか?

いじめが極端に深刻化するケースとしては、子供自身に訴権がなく、
民事的に本人が社会に対して訴える方法がないことが上げられると思う。
エスカレートして、怪我をするか不登校になるか自殺するまで、
大人はそれに対してうつ手立てがない。
いじめを受けたら、親に言いなさいといっても、それがいじめだと
子供に決める権利がないのだから、親に伝えようがない。
自分がいじめられてるのかどうかすら決める権利がないのだから。
であれば、教育委員会に「いじめ対策審議会」のようなものをつくり、
子供に訴権を与えればいいと思う。学校内の児童や生徒や教諭からの
いじめに対して訴訟を起こす場所を子供に与えればいいのだと思う。
最終的に、いじめかどうかの判断をするのは大人だけれど、
子供に何がいじめなのかを決めたり訴えたりする権利が生まれる。
自殺するくらいなら、訴え出るくらいの強さを育てればいいんだと思う。
暴行や傷害事件などは、いままでどおり刑法で運用するとして、
その水際のイジメという問題を解決するには、子供に新しい権利を
与えるのがもっとも有効な方法だと思う。
いじめ対策の最終的な責任は、子供が担えばよいのだと思う。

いまの子供に、法的に「いじめとは何か?」を決める権利がありますか?

アスペルガー症候群被告への求刑超え「懲役20年判決」
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20120812-00000520-san-soci

まぁ、アスペルガー云々はおいておいたとして、
求刑を上回る判決を下すからには、それ相応の理由が必要だと思う。

「反省の様子がみられない。」これについては、情状酌量を
行わないというのであれば、理解はできる。
しかし、「社会に受け皿がなく再犯の可能性がある。」という理由で、
求刑を上回る判決を出している。これは、ちょっとどうかと思う。
保安処分だと言っている人もいる。
つけくわえて、アスペルガーの場合「感情が一般的でない。」わけだから、
おそらく、万人が納得する「反省の色」は示せないと思う、
あくまでも「アスペルガー患者の示す反省の感情」しか持たない。
仮に、一般的に「反省」とみられる行動をしていても、
それは実際には「反省」を示す挙動ではないのだから、難しいと思う。

では、外国人が犯罪を犯した場合に、似たようなことが言えるだろうか?
たとえば、内戦続きで帰国が困難な国の国籍の被告がいたとする、
食べるものに困って窃盗した場合に、受け皿がないという理由で
有期懲役目一杯を科せるだろうか?(受け皿がなく再犯の可能性が高いと?)

近年の判例の動向からすれば、懲役20年は重過ぎるとは言えない。
しかし、理由が必要だ。
昭和の終わりごろの判決は「社会通念」という言葉が理由として
よくあげられていたが、今回は「社会秩序」という言葉を使った。

裁判官が「社会秩序」をとなえるのであれば、
刑事訴訟法第1条(第一条  この法律は、刑事事件につき、公共の福祉の維持と個人の基本的人権の保障とを全うしつつ、事案の真相を明らかにし、刑罰法令を適正且つ迅速に適用実現することを目的とする。 )
に適合していなければならない。

公共の福祉に適合させた場合、量刑20年は、問題視されないと思われる。
個人の基本的人権を考えた場合、被害者遺族や被害者の人権は考慮されている
無論被告の人権も審議自体では考慮されているが、判決理由で疑問視される
「社会に被告の人権を保障する場所がないので、その権利は毀損する。」
と言わんばかりの判決理由になってしまっていないだろうか。

事案の真相についても、明らかになっていない。
判決によって事件の真相と理由が明らかになることにより、
同様の事件を防ぐことができなければいけないが、
事件を起こしたら、その都度処分することでいいじゃんといような、
投げやりとも思える判決理由になっているように感じる。

うむ、司法のいう「社会秩序」として成り立っていない?

量刑自体に問題はないとは思うが、判決理由の中身の部分が
ちょっとひと悶着あると思う。

大阪に住む人間として、地元であった事件だけに、
遺族のことを考えると、ちょっと言いにくいかもしれないけれど、
再犯の可能性を考えた場合。「同じ人間は2度殺せない。」
たとえば、これが無差別殺人であって「刺す相手は誰でも良かった。」など
と言っているようであれば、究極の対応を迫られるかもしれない。
しかし、この場合の司法が苦言する「再犯」とはなんだろうか?
法を侵すこと??うーん、、、。司法はあくまでも国権の裁判権を
管轄する公務所であって、法の神罰官ではない、、、。

つまり、判決理由がおかしい。

それならば、もっとわかりやすく、
「精神鑑定の結果、慎重な判断を要する事件ではあるが、
被告の犯した罪への社会的責任は重く、厳罰に処するべき結論に至った。」
とか、云々の文言で納めるべきだと思う。

「受け皿」云々と言ってしまうと、
「刑務所に入っててもかまわないやつらの逃げ場がこの国には五万とある。」
なんて言ってる様なものだと思う。

悪い事をした人間なら、どんな理由つけて裁いてもいいわけでないし、
きちんと理屈が通っていなければ、社会正義は維持されない。
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