ずっと観たいなと思っていて、やっと観られました『死刑にいたる病』
阿部サダヲと岡田健史(まだ改名前)が出ているので観たかったんだよねぇ。
のっけから拷問シーンで薄目にて鑑賞
血とか殴る(殴られる)シーンとか銃殺とかは まだ大丈夫なんだけど、切るとか剥ぐとか抉るとかの拷問系はダメなんだよなー。苦手
アマプラより画像をスクショしています
※※※あらすじ※※※
榛村大和(阿部サダヲ)は一見 人が良さそうで表向きは町のパン屋さんをやっているけれども、物色した お気に入りの真面目な高校生(男女)を いたぶって殺すサイコなシリアルキラー。
24人殺害したとされるが、最後の女性だけは年齢も殺害方法(遺棄の仕方)も それまでとは全く異なり、この件だけ殺害を否認している。
三流大学の法学部に通う冴えないコミュ障の大学生 筧井雅也(岡田健史)の元に榛村から「会って頼みを聞いて欲しい」と手紙が届く。
実は雅也は榛村が営むパン屋の常連だったのだ。
最後の事件は冤罪なのか否か?
榛村から依頼され、事件を独自に調査する雅也が辿り着いた結末とは?
※※※※※※※※※※
榛村と衿子(雅也の母:中山美穂)が過去に繋がっていたことから二人の間に生まれた(?)子どもが雅也なのでは?
子どもの頃に榛村と交流のあった金山(岩田剛典)が真犯人なのかも?
など、ミステリーの部分も榛村から うまく誘導される雅也および視聴者。
人心掌握に長けている榛村のマインドコントロール術が見ていて恐ろしい
榛村自身が虐待されていた人間だったから、そういった人物は どうすれば喜ぶのか、手懐けることができるかを よく知っているのだ。
人の心の中に するりと入り込んでしまう。
虐げられてきた者は自己肯定感が低いゆえ、褒められるとやはり嬉しいし そんな相手に好意を抱いてしまうもの。
雅也も、その母 衿子も被虐(待)児で榛村に ずっとコントロールされていたのだった。
榛村は殺人自体は自ら手を下すが、自分は何もせずに傍観者となり「君が決めなよ(自分で選べ)」と相手に選択権を委ねることもある。
その時の榛村=阿部サダヲの光をなくした感情のない冷たい目が印象的だ。
この目を撮りたいがために阿部サダヲがキャスティングされたんじゃないだろうか?
相手に委ねるのも一種のマインドコントロールで、被害者同士お互いを殺し合うように仕向けた『北九州監禁殺人事件』の松永などを想起させる。
幼少の金山が彫刻刀を握って弟の太ももを刺すシーンは観ていて辛かったし怒りが湧いたしゾッとした。
最後のシーンで雅也の恋人となった加納灯里(中学時代の同級生で同じ大学)のバッグから榛村の手紙が落ちたけれども、恐らく中学時代から榛村は雅也と同様に目をつけていたんだろうな。
そして雅也と同じようなことをさせていたんだろう(灯里が大学で雅也に声をかけた時、すでに手紙を受け取っていたんじゃないかな?それで雅也に近付いた?)。
灯里の目が榛村に似ているように見えたのは、彼女も またサイコパスなのか?
あるいは彼女が榛村の娘・・・ってことは、ない・・よね??
《ネタバレ》
結局は全ての殺人は榛村の仕業だったんだけれども、遺体を見つかりやすくしたり、剥がした爪も川に流したり(最初、桜の花びらかと思っていたのに爪だったとは)、小屋に火をつけたりと雑な方法をとったのは
「もう終わりにしたい、見つかって捕まりたい」という普通の人間らしい感情も どこかにあったのだろうか?
その殺人までも雅也たちに「探偵ごっこ」をさせるために最初から仕組んだゲームなのだとしたら救えない人間・・いやサイコパスだな。
きっと子どもの頃から相当 残虐なことをしていたから、虐待が引き金になった後天的サイコだとしても そうそう変わらない(脳の作りが違う)んだろうな。
虐待は 新たな虐待を生む。
榛村も元々は ある意味「可哀想な被害者」だったのかもしれないけれど、全くの他人(罪もない人間)に それを上回る残虐なことをしているので同情の余地は全くない。
もしするのであれば、虐待をした人間にするべきだと毎度 私は思っている(そうならない(できない)のが また闇深い)。
面会シーンで雅也の顔と
榛村の姿がぴったり重なる演出が良い
実の父親は殺人鬼なのか?
雅也自身もサイコパスとなり得るのか?