『フィッシュマンの涙』 | From Rabbit House

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前回は人魚のお話でしたが、今回は半魚人(上半身が魚で下半身が人間)『フィッシュマンの涙』

 

こちらは韓国映画で、製薬会社の新薬治験に参加した青年が、副作用で なぜか魚人間になってしまったというお話。

 

 

なんだか哀しい物語だったな。

 

 

韓国の就職難貧困問題だとか

 

格差(学歴・女性蔑視)社会だとか(=主人公の青年記者は同じ会社の上司、同僚らから「地方大学」と揶揄される)

 

差別だとか(=対象は分かりやすく魚人間だけれども、同じ人間だとしても見た目で人を差別したりする嫌な世の中)

 

 

裏取引、資本主義のなんちゃらかんちゃらとか

 

割とシリアスでシビアなテーマなんだけれど、BGMのせいか どこかコミカルで重々しくはない作り。

 

 

フィッシュマン(以後、魚男で表記)の父親は金目当てに弁護士と訴訟を起こそうとしているし、

 

 

製薬会社は研究という大義名分(=博士のエゴ)で魚男を人間に戻さず(後に、人間に戻すことが可能だったことが説明される)実験材料にし続ける。

 

魚男が身を寄せる家の女性(ヒロイン)も途中から改心したけれど、最初は金目当てで製薬会社に魚男を引き渡した

 

 

(全く関係ないけど、彼女の部屋が可愛い↓)

 

そもそも魚男が治験に参加したのもお金のため(報酬が良かったから)だ。

 

皆、金・金・金。

「貧すれば鈍する」ということか。

 

記者志望の主人公も会社から「取材(魚男の謎と真実)の出来次第で採用を検討する」という条件で、仕事欲しさに魚男を取材する。

 

 

そこから見えてきたことに対して

 

真実を探求し伝えることこそが真の記者=自分のなりたいものだ」という信念を貫きたい想いと

 

会社にしがみつかなければ生きていけない(=会社の言いなり)という理想と現実に葛藤する。

 

 

 

魚男は最後まで非人道的な人体実験を受け・・・死んだ

 

 

しかし・・・魚男は生きていたのだ!!

 

最後、魚男はどうなったのか?

人間に戻ることができたのか?

 

結局、魚男は自ら人間に戻る、人間社会で生きることを拒否した。

 

 

真実を語る博士。

なぜなら、それが魚男の「最後の願い」だったから。

 

魚男は人間の汚い、欲深い、嫌らしい面を見て人間でいることが ほとほと嫌になったのだ。

 

虚偽の訴え(魚男を貶めるための罠)

 

 

ラストは海の中で悠々と泳ぎまわる魚男。

 

 

自由を手に入れたのだ。

彼が望んでいた“平凡な人生”とは真逆の数奇な運命になってしまったけれど・・・。

 

 

しかしこれは、現代社会の生きづらさを象徴しているラストシーンでもある。

韓国だけの話ではなく、日本でも同じだと思う。

 

世の中全体がなんだかギスギスして利己的で排他的で、でも人の目ばかり気にして

 

もっと本当に自分のやりたいこと、自由に生きることを選択してもいい、否、そうしなければいけないんじゃないかな。

 

主人公の青年記者はあれだけ「正社員」になること

「会社」にしがみつくことを望んでいたけれど

自分の目標『真の記者』になることを

見失わずに前へ歩き始めた。

 

 

魚男は人間社会から追い出されて海の中でしか生きられなかったのではない。

 

排除されたのではなく彼は自らの意思で、望んで海の中で生きているのだ。

 

気持ち良さそうに泳ぐ彼の姿から、わずかながら希望を感じた。