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今年は春の訪れが遅く、先の日曜日には桜の開花を待ちかねていた人達で大変賑わっていました。

桜たちも、まだ五分咲きくらいでしたが、美しさを競い合うように咲き誇っていました。

桜の花を見上げると空の青と桜のピンクが美しいコントラストでした。

私は道すがらに桜をみていたのです。

私のお花見は瑠璃光院の馬酔木にしました。

ツツジ科の緑葉樹で、春先にツボ状の小さな白い花をいくつも付けるものです。

緑の葉に隠れるように、けなげに咲いているのも、いじらしいものです。

秋の瑠璃光院は隠れた紅葉の名所で、訪れる人もあるのですが、春は人もまばらでした。

花の美しさもそれぞれだし、それを愛でる人の感性もそれぞれ。

人に受けるように、自分を変えて、自分を見失ってはいけないと思います。

そのままのあなたを愛してる人はたくさんいると思います。


馬酔木(あしび)
花言葉:犠牲、清純な心
ブラックサバス時代から現在のオジー オズボ-ンのドキュメンタリー映画を、息子ザックの視点から捉えたものでした。

虚構の中に生きるロックスター オジーと父親として家庭人として不適格者であるオジーの苦悩と葛藤が描かれていました。

映画の主題はそこに在るのでしょうが、私の目はランディ ローズに釘付けになりました。

ランディは35年くらい前にクワイエットライオットで日本のみでデビューしました。

その頃はエンジェルというバンドと同じ様な、可愛い顔した男の子がバンドやってますって、そんなアイドル扱いでした。

ところが80年代前半HMブームが再燃した頃、「ブリザード オブ オズ」でのランディのプレイは1枚目にして完璧・完全、終わりかけていたヴォーカリスト(オジー)を蘇らせました。

その当時、私たちの間ではゲイリー・ムーアが一目おいたジョン サイクス(正統派)とランディ ローズ(革新派)は人気を二分していました。

30年前の3月19日セスナ機の墜落事故でランディは25歳で亡くなってしまいました。

彼の死以後はどんなギタリストが出てきても、彼を超える者はないと思い、新しいHMは聞かなくなりました。

その当時のインタビュー記事を読み返してみると、ランディはロックスターになるとか、商業的成功を目指していたのではなく、一人のギタリストとして孤高の道を歩もうとしていたみたいです。(バンドを抜けてクラシックギタリストになりたかったみたいです)

オジーもその事を良く理解していたのでしょう。
映画の中でこんな事を言ってました。
「実力のあるものは道化になる必要は無い」

一番多感な時代にあなたのギタープレイに触れられて良かった。

いつまでも、いつまでも、あなたの事は忘れません。ありがとう。
西洋文明・芸術に限界や絶望感を抱いた、ゴッホとゴーギャンはジャポニズムに魅せられて、フランス南部のアルルで共同生活を始めました。

希望に胸膨らんだのも束の間、お互いの肖像画を描きあった頃、ゴーギャンが描いたゴッホの絵に狂気を見つけ、怒り心頭したゴッホが自分の耳を切り落として、共同生活が終焉しました。

あまりにも自分と似通った人間は、自分と全く同質の人間であると錯覚してみたり、相手に対する期待値が上がってしまったりします。

また、自分が持っている負の面を相手が持っていて、それが表面に出てくると鏡移しに自分を見ているようでその人が嫌いになったりします。

若かりし頃、私もこいつは自分の分身じゃないかと思う友達がいました。

顔立ち、背格好、性格、思考パターン、笑いのツボなど全て同じように思えました。

お互いに「お前は俺みたいやなぁ」なんて言ってました。

一緒に暮らしたら24時間刺激的で楽しいだろうと思いましたが、断念しました。

彼は私より2歳年上だったのですが、似た者同士は近親憎悪が発生する事を知っていたのでしょう。

実際に彼とは、その後どうしても相容れない考え方の違いが見つかり、一緒に暮らさなかった事が今もって親友でいられるものだと思っています。

それは、実存主義哲学(彼)と宗教的霊性(私)の関係。

人はそれぞれ違うもの、それを認め合う事が出来るかが大事な事なんでしょうね。