心理カウンセラーが綴る「中年という季節」

思春期とは違った不安定さを感じる“思秋期”


この年代の80%が感じるといわれる不安定感をみんな どう過ごしてるんだろう?


そんな思いからこのブログを始めることにしました。


ゆったりペースで綴っていきます。
----------------------------------------------------------------------------------------


【 姉妹サイト 】 


ドキドキ 寄り道でいいのかも    耳 Rebornだより♪ 01/06更新★   音譜 カウンセリングルームReborn

Amebaでブログを始めよう!

ブログのお引越し

「中年期」に特化したこのブログ

もう一つのブログ「寄り道でいいのかも」テーマ:中年という季節 で続けて書くことにしました。




更新頻度も低い中 訪問頂いていた方
「寄り道・・・」で続けて読んで頂けると嬉しいです。

強制的に笑う…

妹とのメール

私:明日、夕方くらいから出られへん?
妹:事と次第によっちゃぁ 出てもいいけど
私:やすともの単独ライブ…京橋花月で。
妹:そらぁ いくしかないやろ。

3年半ぶりの海原やすよ・ともこ(姉妹漫才)のライブの告知を前日朝にラジオで聞きました。
スケジュール帳を確認し、娘の塾があることを確認し
私も「ホンマ これは 行くしかないやろ。。。」という思いで妹にメールをしたというわけです。


そして
今一番私をなごませる男女漫才コンビ「女と男」の和田ちゃんも出演ということで
早速ネットでチケットを購入ビックリマーク

30代後半の姉妹漫才は、作為感の無い間の取り方で
心地良いボケとツッコミの掛け合いなのです。

喋り方はもちろん大阪弁でまったく違和感の無いテンポ
内容も
「そんなこと あるある!」というようなことを 本当に上手に膨らませる話しぶり。

男性の芸人は面白くなくてもメディアにはなんとか長くでていられるようですが、

女芸人は違います。
面白くなくてはダメ。
大阪では特にそんな気がします。

4人の子どもがいる妹と
高校受験を6日後に控えた娘を持つ私が
迷いなくお笑いライブに出かけたわけです。

学生時代は日常的に笑うことが多かったし
大きな声を出すこともできました。
でも 大人になるとそうはいかないし
何しろ おなかの底から笑う事が本当に少なくなりました。

時々 おなかが痛くなるくらい笑いたくなるのです。
これは私だけかしら?

TVでのお笑いと違って
ライブは両サイドからの音響と会場の熱気で臨場感が違い
笑いの質もTVの前よりアップします。

「やす・きよ」や
なぜか「かしまし娘」の25周年公演
「いとし・こいし」の最終漫才など
観に行っている私たち姉妹。

笑っていたいという欲求が高いわけですが、
普通に暮らしていると 難しく
「今日は笑いにいくでぇ」と
強制的に笑いを求めるようになった私です。

大阪は笑いに行こうと思えば
手っ取り早く可能にさせてくれる場所があります。
br />
">ピン!!…ときたら
行ってみるのもいいかもしれません。

なんてったってキョンキョンも。。。

映画「毎日かあさん」に主演するキョンキョンの大写しの写真がインタビュー記事とともにが載っていました。
子どもとの関わりについて書かれていました。

私はそれよりも
やはり 映しようによってはキョンキョンも熟年の女性に見えることに心が留まりました。

「なんてったてアイドル」を歌っていたフレッシュそのものの印象が未だに残っているからです。

下記はキョンキョンのコメントです。
------------
自分の経験、言葉、考えていることが40代から調和してきたと実感する。
「老いに向かって変わって行く、その入り口が見えてきたきがして
それを進化とよびたいです。」
------------
う~ん まだまだ調和には至らない私ですが
なんとなく共感できる内容でした。

おおっぴらに口には出さないけど
たぶんみんなこの年頃(40歳以降)は
「私の人生 これからは…」と考えるようになるんだろうと思います。

精神分析家のエリクソンは、
人は一生発達し続けるというライフサイクル論を提唱されています。
一生を8つの段階に分け、その年代ごとに発達課題があるということです。

中年期の課題は「生殖性」とか「世代性」とよばれます。

自分はいったい何者なのか?…とか
集団の中で居場所を考えたり…とか
就職・結婚などの社会生活をどう果たすか…などを考えながら
自分を形作る20代、30代の成人期を経て
たどり着くこの年代、、、、

自分のことだけに終始せず、
我が子も含め 他者の為、次世代を育み発展させるという人格的要素が現れる年代です。

こういう要素が現れずに居ると 人生に停滞を感じます。
他者の利益になることが自身の不利益になると捉えてしまうと
やはり停滞感は大きくなりますねぇ。

そう考えると 年を重ねる事って なんだか尊い感じがします。

80歳、90歳のおじいちゃん、おばあちゃんの手や顔に刻まれた皺をみるだけで
言葉にならないものを感じるのはそのせいかもしれません。

中年期真っ只中の私は次の時代「老年期」を想います。

老年期の課題は…→“統合”

苦しかったこと
嬉しかったこと

恨みがましいこと
清々しい達成感を感じたこと

「プラスマイナス いろ~んなことあったけど
私の人生はこれで良かったんやぁ」と他の人生と比較することなく
認める気持ちになれることが…⇒“統合”です。

中年期を終え 老年期にそんな境地に至れるのかしら?と
自信無げな自分を感じながらも 
結局 自分の思いに誠実に歩いていくしかない…といつも同じ思いに辿り着くのです。

今、求められる死生観

産業カウンセラー協会の今年はじめての例会に参加してきました。

「いのちに寄り添う--今、求められる死生観--」のタイトルに惹かれ即参加申込みをしました。
思っていた以上に心揺さぶられる内容でした。

思い出したようにブログで死生観について書く私ですが、
それについて しょっちゅう考えを巡らせることはできていません。
死を身近に感じることで 「生きる」という姿勢が変わると感じながら
ついつい日常の雑務にかき消されています。
そして 些細なことに落ち込み、また立ち直る…の繰り返しをしているわけです。

本日の講演者は関西学院大学の藤井美和先生でした。
先生は、忙しく仕事をされている最中大きな病に倒れられ、死に直面された体験から
ご自身を振り返ったお話をされました。
28歳で全身麻痺で動くのは眼球だけという状態となられました。
その時に初めて 本当に大切なものを感じられたそうです。

90分の講演の中には、生きる姿勢についてのエッセンスがぎっしり詰まっていて
ここには書ききれませんが、特に心に残っていることを抜粋します。

■死生学…というのは、そもそも
 「死を含めてどう生きるかを考えること」。
 50年前までは、自宅で死を迎える人がほとんどで
 生活の中に「死」があり、「死」を考える故、「生」に対する姿勢も考えていたということ。

 今、病院で死を迎える人がほとんどですが、私たちが病院に行っても
 死んだ人が目の前を通るということはありません。
 わからないように裏のエレベーターから霊安室に移されます。
 そしてひっそりと裏口から出されるわけです。

■価値観の変化
 価値観に対する説明もわかりやすく説明されました。
   ↓
 何が望まれるか?何が善なのか?という判断の基盤となるもの・ものさしと表現されました。

 脳死の問題を例にとると…
 それを客観的に見ると ただ生かし続けることよりも「死んだ」と捉え 臓器移植をするほうが
 効率の良さを感じる人もいる。
 しかし、それが家族の場合、、、「生かす」という道を選択したいと願う家族も居る。

 1人称(私)・2人称(あなた)で考え結論を出すのと
 3人称(その他の人)で考えを巡らせるのとでは、リアル感が全く違ってきます。

 それなのに、悲しいかな3人称で考える客観的な意見が重視されることになったりします。

 これを藤井先生は「多数派の意見に依存する」ことは危険なことになることがあるとおっしゃいました。
 これは、戦争の名の下に 人が公然と殺され、人を公然と殺すという……
 ケースは違っても陥りがちな危険な様子がわかります。


■苦しみの中に居る人にかける言葉は、発する側の納得することである場合が多い。

 大病を患った人に対して、「仕事が忙し過ぎたから、神様が休むようにと言っているのょ。」などと
 言ってしまいがちです。でも、これは相手を納得させようとする見舞う側のどうしようも無さだと
 感じます。「休むように…」と感じられるようになるのは、本人から湧き上がる気付きによるものであるはず。

 つらい思いの真っ只中に居る人に「頑張って!」…は何を表現しているのか?
 それは、「今のままではいけない。」という否定ともとれる辛いメッセージでもある…とおっしゃいました。
 
 本当にそうだなぁ…と納得しました。


重要で心に刻んでおきたい内容はまだまだありますが、あと一つだけ書きます。

お伝えくださった中に現在特許出願中の興味を惹く内容がありました。

それは、「死の疑似体験」です。
藤井先生は、大学生に対して
「1人称の死を体験するワークショップ」をされるそうです。

どんなふうにして それを体験するかを書くことは控えておきますが、
その体験をした生徒たちの心の最後に残る大切なものの多くは
「お母さん」だそうです。

大切でないものはドンドン心からなくなるのです。
早くなくなってしまうのは「父親」だそうです。(苦笑)

母親というのはリアルな母親というよりも
「そのままを受け入れてくれる存在」だろうとおっしゃっていました。


普段 潜在している「何のために生きているのか?」という問いは
危機迫るときに顕在化します。

しかし、危機が迫っていない日常にも その問いを立てるということは
とても重要なことで、人生を変えることでもあると感じました。

限界の中で委ねられる作業であり、自らの価値観に従って
なされるのが「手放しの作業」だとおっしゃいました。

日々過ごす中で いろんな情報からさまざまな価値観が植えつけられますが、
それが多数派に傾いたものではないか?など 振り返ることが
自らの真の価値観で生きていく道を確かにしてくれるのだと思います。



新年初めての聴講した講演は、深く心に刻まれる内容でした。

遅読のすすめ

新年明けて早や10日…
毎年こんなこと言ってるような気もしますが。。。にひひ

このお正月休みはガッツリと読書の時間に充てようと思っていたのに
完読できたのはたった2冊。
他3冊は いつもの並行読みとなっている有り様です。

本を読む速度が一向に速くならない私は、速読できる人を羨ましく思います。
速読の教本を5万円以上だして購入したものの それさえ続かず

CDを最後まで聞き終えることなくリタイア…しょぼん

速読をあきらめて数年が経ち、
今では、マイペースでボチボチ読んでます。

そんな私の目を引く新聞記事
“遅読のすすめ”

最近「スロー・リーディング」の本が出ているらしい。。
知らなかったぁ…。

スローフード、スローライフの次は“スロー・リーディング”

小学館から出版されている「奇跡の教室 エチ先生と『銀の匙』の子どもたち」 という本には
中高一貫の進学校灘校で「遅読」に取り組んだ今年99歳になる伝説の国語教師を取材しているらしい。

2002年には遅読のすすめ という本も出版されている。

何でも 早く速く…できるのが良いこと…と思ってしまいがちなご時勢
そんな思考をくずしてきたつもりの私だけど読書となると
やはりたくさん読みたいという思いから「速読」を重視していました。

でも本当の理解から考えると
読む本の種類によって自分なりのペースで理解度を考えながら読めば
それでいいんだぁと思えるようになりました。


新年

心理カウンセラーが綴る「中年という季節」
昨日から一晩が明けただけなのに…新年。。。
毎年こんなことを思いながらも、年を重ねる感覚は寄る年なみごとに増してきます。

昨年は
20年前からの友人と10年ぶりに再会して時間を忘れておしゃべりしたり、
30年ぶりの中学時代の友人とタイムスリップしたように学生時代の話が盛り上がったり、
セミナー受講した時に出逢った人たちとは社交辞令だけで終わらず、近況を知らせあったり、
…といろんな繋がりを感じられる年となりました。

体調の不安を感じ、積極的に検診に行ったりといつになく体に気を配った1年でもありました。

甘えすぎて、怠惰にダラダラ過ごすのは考えものだけど
自分のペースを保って、
いろんなこと楽しみながら、面白がる気持ちを持ちつつ今年も歩いて行こうと思います。

今年もよろしくお願いします♪



年下の男性をペットに!?

先日、新聞の悩み相談に社会学者の上野千鶴子さんが答えてはりました。
70歳の主婦が付き合ってる30代の男性とのことを相談。
彼が何年経っても自宅へあげてくれない…という不満なのです。
彼女は贈り物など彼にかかる費用は年間250万~300万円とのこと。

すばらしい夫(70代)が居て、彼とはキスまでの関係。
買い物ばかりせがまれ、不満だらけだけど別れられない…という内容でした。

それに対し上野さんは、

70代で相手は30代。
の年齢差で異性のペットが飼えるなんて人もうらやむ話ではありませんか。

…と一刀両断、、、というのでしょうか

はっきりとした返答。

ゲ~ッはちゃ
そうな~~ん?
そういう考え方もあるんかぁ。

う~ん。
それもそうやなぁ。
適度な刺激をもらって 女性ホルモンのバランスも少しは違うんでしょう。
何しろ 若い男性との接触するということで会わない時の普段の生活で
若く居るためのセルフケアにも力が入るでしょう。

最後に上野さんは、

こんな関係はやめたほうがいい…とあなたはきっと、相手に見返りを要求したくなったんですね。
使ったお金をいちいち覚えているのはそれが投資と思えばこそでしょう。
投資というのは回収を予期したお金。
で、あなたは彼から何を回収したいのですか?
セックス?愛情?
ペットの飼い主であるための条件は抑制と寛容、
すなわち支配者の徳です。
それが持てないなら飼い主の資格はありません。


はは~っ
…とひれ伏したくなるような、大人の女性の発言。

そうなんや、そうなんや
そういうことなんやぁ
…と妙に納得しました。

そらそうやわなぁ。
その年齢さで定期的に会えてること自体
女性としての健康に寄与してくれてるって考えられる。
ふむふむ。

この答えが正しいかそうでないは別にして
上野千鶴子さん・・・圧巻です。グッド!


40代ガールズトークは痛すぎる

上記のタイトルで朝日新聞にコラムニスト深澤真紀氏のインタビューがありました。
サブタイトルが
「バブルの成功体験が邪魔し足を引っ張り合う。ストレスたまるだけ。」…と。

はじめに「女子会」について話してはりました。
女子による企画の女子だけの会。
恋愛など男女関係がらみの話をガールズトークと言う…とのこと。

最近耳にするこの「女子会」
私は来談するOLのクライエントさんから何度か聞きました。
「最近はそんなふうに言うんやぁ。」と何となく 学生の延長線の感覚をもってました。

深澤氏によると
バブル期の輝かしい過去がある40代女性は前向きな話にならず、
根っこが「昭和」で卑下文化、謙遜指向が残っているとのこと。

「わたしなんかぁ…」と自分を一旦下に置いて、ネガティブな話で盛り上がろうとしてしまう…とも
書いてはりました。

確かに「私 今 頑張ってんねん!!」とは胸を張りづらく
ちょっと下降気味の自分をアピールすることもあるでしょう。

40代前後で

バリバリの上昇志向の人と

何とか現状維持の人、

そしてその中間の人。
どの世代にもこの形態はあります。

ただ、他の世代との違いは、
この世代は「老いの陰が忍び寄っている」ことに特に敏感になるお年頃だということです。

松田聖子のように50代でも老いを感じさせないツルンとした肌の乙女系と
程よく皺が刻まれた目じりで可愛く笑う浅野温子のような??系(←わからない)。

私は、人生の背景を感じさせる浅野温子に断然 好感を持ちます。

もちろん女優さんだから 美には敏感でそれなりのケアをしてはるんでしょうが、
老いに抗う様が薄く 自然に受け容れている様子が好きです。

1世代前の40代と今の40代の様子はずいぶん違います。
アンチエイジング化粧品や日常的にコラーゲンを摂取するなど
肌ケアは目を見張るものがあります。

その甲斐あって、オバサンとは呼びがたい若々しい40代・50代女性が増えました。

その影で心の安定はどうなってるだろう?と思う事があります。

男女雇用機会均等法が施行されてからずいぶん年月が経ちました。
男性以上に活躍する女性の姿がマスコミなどで取り上げられます。
自分の能力を最大限に活かし
バリバリと仕事をこなし
多くの人を先導し
大きな目標を掲げる

…そう 勝間和代さんのような人
---しかし、40代女性がみんなそんな傾向にあるわけがありません。

弱い面を持ち、
体の変調も感じ始め
疲れた
ついていくのしんどい
ちょっと休みたい…

そんな溜め息交じりの様も40代です。

■ココから深澤氏の言葉を抜粋
「自分が弱っている時は、逆に溜め込む危険が大きい。むしゃくしゃしたらお風呂に入ってサッサと寝る。
フテ寝、フテ風呂をおススメします。新しい目標を立て前向きに頑張ろう、は勝間和代さんクラスの人にしか
おススメしません。普通の人には、女子力より『女子術』を身に着けることを提案したい。

----女子術とは、
足を引っ張り合うネガティブな渦に巻き込まれずに、社会関係を保つための方法。
心を込めすぎない、しかし、同性社会のルールからもはずれないお付き合いの技術」
----------------------------

ふ~む
女子術ねぇ。
確かに、確かに、、、、
素直に弱みを話すけれど
ネガティブを振りまかない。
ネガティブに大きく影響を受けない。

離見の見(リケンノケン)
俯瞰できる余裕を持って女子術に臨みたいにっこり!…ものです。。。


「何歳からでも…」とは言うけれど

「うつ」のシンポジウムでの記事に小山明子さんが

うつを克服したお話がありました。


大島渚氏のお世話に病院にいっている時、見知らぬ人が

妻である小山さんに

「あの人 大島渚よね…」と声をかけてきたとの事。


相手は女優の小山明子さんだとは気がつかなかったのです。

鏡を見ると自分が80代のおばあさんのように見えたそうです。


それから「これでは いけない。」と水泳やヨガを始められ

11年が経ち、今75歳になられたということです。


小山さんのような大変なきっかけがあると

ある意味 スタートしやすいかもしれません。



「年齢なんて関係ない。
  いくつからでも やろうと思えば始められる」


よく聞くフレーズです。

他人が年齢のためにためらっている様子を見ると

そう声をかけたりしてしまいがちです。


それは正論だし

もっともなことだから。。。


でも、そう思えず

エネルギーが出せずに人生がに立ち止まっていたり、

そこまで大げさなことでなくても

結局、他の事に気を移して 無いものにしてしまったり


そんな経験がある方 多いと思います。


30歳を迎えると「もう30歳だぁ…」と

40歳になると大台…なんて思ってしまう。


でも、振り返ってみると

30歳なんてまだ若いし

50歳過ぎると 「40代を若かった」と感じます。


後ろを振り返ると 確かに 年齢の重さを感じます。


でも、これからの人生を想うと

確実に 『今の自分』が一番若いんですよね。


当たり前のことなのに

忘れがちです。


「始めるなら 今!」…と自分に声をかけられると

人生がずいぶん変わりそうですビックリマーク


「アダルトチルドレン」だと知って…

姉妹ブログに「アダルトチルドレン(AC)」について書きました。

仕事の公式サイトには、ACの特徴を元に書いている内容は多いのですが、

「アダルトチルドレン」という名称を使っていませんでした。


今回、解説をブログにアップしたのは、

この名称自体が、広く知られるようになったことと、

この特徴を知って、生きやすさ獲得への道が少しでも早く開けることが多いと
感じることが増えたからです。


ただ、私が懸念するのは、

20代や30代前半ばでこの事実(自分がACであること)を知った時の動揺とちがい

人生後半に入っている場合の心の動揺です。


子育ても中盤に入り自分の生きづらさだけではなく、子どもへ「生きづらさ」を連鎖

させている事実を知ることでのショックの大きさです。


もちろん、生きづらさの原因かもしれないことを突き止められたことで、

今後に光を見出す手立てを考えるきっかけになります。


しかし、今まで自分が親から受けたような影響を自分自身が子どもに与えてるかもしれない…と

知った時のショックは大きいはずです。


途方にくれるかもしれないし、

これから子どもにどう接したらいいのか?と戸惑うこともあるでしょう。


初めは


開けてはいけない箱を開けたように

知らなければ良かった…と感じるかもしれません。



でも、事実を知り

それを受け容れ

人生に良い変化を起こしたい…と希望を抱いた時から

あなたの人生も

あなたのお子さんの人生も変化の道を辿ります。


知らない苦しみは長く続きます。

しかし、

知った後

変化に伴う苦しみは長く続くことはありません。


【ACについて多く書いたページ】


  ・つまづきを感じる時   ・生きやすさを求めて…