今、求められる死生観 | 心理カウンセラーが綴る「中年という季節」

今、求められる死生観

産業カウンセラー協会の今年はじめての例会に参加してきました。

「いのちに寄り添う--今、求められる死生観--」のタイトルに惹かれ即参加申込みをしました。
思っていた以上に心揺さぶられる内容でした。

思い出したようにブログで死生観について書く私ですが、
それについて しょっちゅう考えを巡らせることはできていません。
死を身近に感じることで 「生きる」という姿勢が変わると感じながら
ついつい日常の雑務にかき消されています。
そして 些細なことに落ち込み、また立ち直る…の繰り返しをしているわけです。

本日の講演者は関西学院大学の藤井美和先生でした。
先生は、忙しく仕事をされている最中大きな病に倒れられ、死に直面された体験から
ご自身を振り返ったお話をされました。
28歳で全身麻痺で動くのは眼球だけという状態となられました。
その時に初めて 本当に大切なものを感じられたそうです。

90分の講演の中には、生きる姿勢についてのエッセンスがぎっしり詰まっていて
ここには書ききれませんが、特に心に残っていることを抜粋します。

■死生学…というのは、そもそも
 「死を含めてどう生きるかを考えること」。
 50年前までは、自宅で死を迎える人がほとんどで
 生活の中に「死」があり、「死」を考える故、「生」に対する姿勢も考えていたということ。

 今、病院で死を迎える人がほとんどですが、私たちが病院に行っても
 死んだ人が目の前を通るということはありません。
 わからないように裏のエレベーターから霊安室に移されます。
 そしてひっそりと裏口から出されるわけです。

■価値観の変化
 価値観に対する説明もわかりやすく説明されました。
   ↓
 何が望まれるか?何が善なのか?という判断の基盤となるもの・ものさしと表現されました。

 脳死の問題を例にとると…
 それを客観的に見ると ただ生かし続けることよりも「死んだ」と捉え 臓器移植をするほうが
 効率の良さを感じる人もいる。
 しかし、それが家族の場合、、、「生かす」という道を選択したいと願う家族も居る。

 1人称(私)・2人称(あなた)で考え結論を出すのと
 3人称(その他の人)で考えを巡らせるのとでは、リアル感が全く違ってきます。

 それなのに、悲しいかな3人称で考える客観的な意見が重視されることになったりします。

 これを藤井先生は「多数派の意見に依存する」ことは危険なことになることがあるとおっしゃいました。
 これは、戦争の名の下に 人が公然と殺され、人を公然と殺すという……
 ケースは違っても陥りがちな危険な様子がわかります。


■苦しみの中に居る人にかける言葉は、発する側の納得することである場合が多い。

 大病を患った人に対して、「仕事が忙し過ぎたから、神様が休むようにと言っているのょ。」などと
 言ってしまいがちです。でも、これは相手を納得させようとする見舞う側のどうしようも無さだと
 感じます。「休むように…」と感じられるようになるのは、本人から湧き上がる気付きによるものであるはず。

 つらい思いの真っ只中に居る人に「頑張って!」…は何を表現しているのか?
 それは、「今のままではいけない。」という否定ともとれる辛いメッセージでもある…とおっしゃいました。
 
 本当にそうだなぁ…と納得しました。


重要で心に刻んでおきたい内容はまだまだありますが、あと一つだけ書きます。

お伝えくださった中に現在特許出願中の興味を惹く内容がありました。

それは、「死の疑似体験」です。
藤井先生は、大学生に対して
「1人称の死を体験するワークショップ」をされるそうです。

どんなふうにして それを体験するかを書くことは控えておきますが、
その体験をした生徒たちの心の最後に残る大切なものの多くは
「お母さん」だそうです。

大切でないものはドンドン心からなくなるのです。
早くなくなってしまうのは「父親」だそうです。(苦笑)

母親というのはリアルな母親というよりも
「そのままを受け入れてくれる存在」だろうとおっしゃっていました。


普段 潜在している「何のために生きているのか?」という問いは
危機迫るときに顕在化します。

しかし、危機が迫っていない日常にも その問いを立てるということは
とても重要なことで、人生を変えることでもあると感じました。

限界の中で委ねられる作業であり、自らの価値観に従って
なされるのが「手放しの作業」だとおっしゃいました。

日々過ごす中で いろんな情報からさまざまな価値観が植えつけられますが、
それが多数派に傾いたものではないか?など 振り返ることが
自らの真の価値観で生きていく道を確かにしてくれるのだと思います。



新年初めての聴講した講演は、深く心に刻まれる内容でした。