ネタカードに答えてみようと思います。


登山したことある?

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はい‼︎あります‼︎

富士山の思い出



登山と言えば、やはり富士山でしょうか?

東京育ちの私には大きな登る山と言ったら、富士山のイメージが強いです。

小学校の修学旅行や、家族旅行で登ったのは今でも良い思い出です。

河口湖でキャンプをしたり、樹海の脇道を歩いたり、富士山木刀を振り回しながら友人と登り切った時の達成感は何とも言えない達成感を感じたものでした。


裏山の思い出。



あとは通っていた小学校の近くにも何個か山がありました。

ドラえもんに出てくる学校の裏山より規模は小さかったと思います。

登山というほどの山ではないけれど、ここ「かしのき山」が一番思い出深い場所です。



近くにはJAXAの建物があり、山の方から夕方になると照らされるライトを見ては、宇宙人にさらわれる‼︎と急いで家へ帰った子供時代。

あの山の天辺には、アイアンジャイアントのようなロボが住んでいて、電気を食べてしまうから停電が起きたのかもしれない…と災害時には想像を巡らせたものでした。


ダウンアイアンジャイアントというのは映画に出てくる優しい心を持ったロボットです。ダウン






この山の一番の良い思い出は、おばあちゃんと、おばあちゃんのお友達と散歩に出かけた時、月桂樹の葉の落ち葉を拾っては「良い香りだね〜」とみんなで葉っぱの香りを楽しんだことです。



ほんの些細な思い出ですが、小さな私少女にはそんなことがとても嬉しかったんですね。



しかし、次に訪れた時には月桂樹の周りに柵がされており、「葉っぱを持ち帰らないで下さい。」と看板が立っていました。



それを見た祖母は、触ってはいけないという程の人様のものを触るのも近寄るのもいけないと、人様の物は葉っぱ一枚でも触ってはいけないと言うので、きっともうこの木の側に行く機会はないんだろうなと子供ながらに思い、風に乗って香る葉の匂いを楽しんだものでした。



小さい時には亡き母とシロツメクサの冠を作ったりして楽しんだものですが、しばらくするとそれが生えていた場所にも立ち入れなくなっていました。




平成たぬき合戦ぽんぽこで、最後にたぬきが逃げた山として一躍有名になった場所でしたが、今ではたぬきは見かけられないそうで、たぬき山と呼ばれた場所も数年前になくなってしまったのだとか…



私が幼い頃にはたぬきは確かにいたんですけどね。

段々と自然が減っているのかも知れません。



よく夜に泣きべそをかく私を父がおぶってたぬきを探しに行ってくれたのは、今でも忘れられない思い出です。
 
そんなに泣いていると、たぬきさんがお前を見て笑っているぞ?と、言いながら、小さく光る二つの光を指差していたのが印象深いです。

正直、暗闇に映る小さな光が怖かった…
だけどたぬきさんが見たい…
お父さんは無敵だから大丈夫‼︎
でも、夜の静けさが怖い…

小さいながらに小さな葛藤をしていたことは大人になっても忘れられない出来事です。



この山にはそんな小さな小さな思い出がいっぱい詰まっています。




祖母やその友人のおばちゃん達、父や母、それから叔父の母であるおばあちゃんの地域ボランティアに夏休みには参加したこともありました。

落ち葉を拾って作った落ち葉スタンプを施した布は一体何にしたのかは記憶にありませんが、夏休みの工作展に出した記憶は一番印象深い思い出となりました。



地元の思い出は忘れ難い沢山の思い出が詰まっています。

この小さな山々もきっと、色んな人の色んな思い出を持っているんでしょうね。

そんな場所を大切にして欲しいなと、今は遠方ですが、願っています。



学校の裏山だと思っていた山の思い出


登山ではないのですが、子供の頃、学校の裏山だと思って段ボールで滑り降りていた場所があったんです。


当時は公園の一部だと思っていたのですが、その後知った話では、民家の一部だったようです。


てっぺんにはお墓が立ち並んでいたので、てっぺんまではいかないところから降りていたのですが、ある日それが上に住むおばあさんにバレてしまい、ムキーこれでもか‼︎という勢いで怒られました。


上のお墓から出てきたおばあちゃんだったので、咄嗟にガーン鬼ババアが出た‼︎と、子供ながらに思ってしまいました。


手に持った鎌が恐ろしげな物に見えたことは忘れもしません。




しかし、それでも懲りずに遊んでいた我々ヤンチャ小僧達。




おばあさんもその内あまりに危ないことをしなければ特に咎めなくなっていました。


だけど今思えば心配してくれていたのかな…


そこへ行けば時折顔を出して、みんなでいつもご挨拶をしていました。




しかし、ある日その中の1人がかなり危ないことをしたようで、おばあさんは大激怒しました。




当然我々が悪いんです。




その時はみんなで謝りに行き、それからその山ではめっきり遊ばなくなっていました。




時は経ち…それから10年後。




そんなヤンチャ小僧達は大人になり、そんな馬鹿な事をした事はすっかり忘れて各々の生活へ。


そんな私も例に漏れず社会人に。




当時、居酒屋さんで働いていた時のこと。


そこの従業員の女の子が、勤務中におばあちゃんが危篤と言う知らせが届きました。


かなり忙しい時間帯だったので、とにかく応援に来てくれる人を皆で探し、仕事をこなし、その子の家族が迎えに来てくれるまで1人にしてはいけないなと思いお話をしていました。




その時、なんとなしに実家はどこかと聞いてみたんです。


すると、すぐそこと言う女の子。


すぐそこ…?あれ…?うちも実家がすぐそこよ?

あれ?どの辺?


と、聞いているうちに私が通っていた学校の裏だということが発覚…




そうなんです。




その子は、あのおばあさんのお孫さんだったんです。




子供の頃、何度か出会っては一緒に遊んだあの子とこんなところでまた出会っていたとは…


しかもおばあちゃん…こんな緊急事態ではありますが…思い出深いです…



急にあの日あの時の後悔が押し寄せてきました。




おばあちゃんはきっといつも叱った悪ガキの中の1人位にしか思っていなかったでしょう…


だけど、あの時誰一人として怪我もせずに今も元気にやっていられるのは、おばあちゃんが人様のお家の子という垣根を超えて必死に叱ってくれたからだと今なら思います。




あの後、台風の影響でその山だと思っていた場所は一部が大きく崩れてしまいました。


あの日あの時、おばあちゃんが強く言わなければ巻き込まれていたのは私達だったでしょう…




そしてこの話を、孫娘に話して聞かせていたことに驚きと共に、おばあちゃんの良くも悪くも思い出の中に私達がいたことを確かめられる最後の機会となりました。


その後、おばあちゃんは亡くなってしまいましたが、孫娘さんにおばあちゃんとの小さな思い出を話して上げられたことが、私の心のわだかまりの中の少しの救いになりました。



それから更に10年後。



今ではもう私も孫娘さんも別の場所で別の職業についています。


あんなに毎日顔を合わせていたのが不思議な位に遠い存在になってしまいました。


だけど、おばあちゃんの繋いでくれた縁は今でも細く長く繋がっていて、時折暖かい鬼ババアがいたという伝説話を思い出しては笑い合う、そんな友が出来たことに感謝しています。




おしまいに




今でも地元付近の山を見ると色んな思い出がよぎります。


遠方の地へやってきてからはあまり登山をする機会もなくなってしまいましたが、東京に住んでいる時には山や海と言ったら、とてつもない憧れの場所でした。


それが今となっては逆にありきたりな風景が海と山です。


新しい地でも、新しい経験を積み重ね、思い出を増やして行けたらいいなと、日々探検心を燻らせている今日この頃です。


また次の登山の日が来た時には新しい山のお話が出来るといいなと思いながら、本日はお開きにしたいと思います。



長文になりましたが、最後までお付き合い頂き、ありがとうございました。



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