ルカによる福音書24:30
彼らとともに食卓に着かれると、イエスはパンを取って祝福し、裂いて彼らに渡された。
それで、彼らの目が開かれ、イエスだとわかった。するとイエスは、彼らには見えなくなった。
そこでふたりは話し合った。「道々お話しになっている間も、聖書を説明してくださった間も、私たちの心はうちに燃えていたではないか。」
すぐさまふたりは立って、エルサレムに戻ってみると、十一使徒とその仲間が集まって、
「ほんとうに主はよみがえって、シモンにお姿を現わされた。」と言っていた。
彼らも、道であったいろいろなことや、パンを裂かれたときにイエスだとわかった次第を話した。
ここを見て行こうと思います イエス様復活の箇所でどうしてイエス様だと解ったのかがわかる出来事です
彼らとともに食卓に着かれると、イエスはパンを取って祝福し、裂いて彼らに渡された。
それで、彼らの目が開かれ、イエスだとわかった。するとイエスは、彼らには見えなくなった。
なぜわかったのでしょうか その一つがパンです。
そこでふたりは話し合った。「道々お話しになっている間も、聖書を説明してくださった間も、私たちの心はうちに燃えていたではないか。」
すぐさまふたりは立って、エルサレムに戻ってみると、十一使徒とその仲間が集まって、
「ほんとうに主はよみがえって、シモンにお姿を現わされた。」と言っていた。
彼らも、道であったいろいろなことや、パンを裂かれたときにイエスだとわかった次第を話した。
35節の
24:35
彼らも、道であったいろいろなことや、パンを裂かれたときにイエスだとわかった次第を話した。
パンを裂かれたときにイエス様だということがわかった ちゃんと覚えていたんです、世の中では色々な人々が居てその人の特徴など出ますが、しっかりちゃんと認識しないと、深く知って覚えておかないとその人のちょっとしたしぐさなど忘れてしまうものです、それでは見たのか?勿論見ていますが、忘れてしまう
そういう事 ございませんでしょうか
では彼らは以前にパンを裂く所を見ていたのでしょうか
マタイによる福音書 14:19 そしてイエスは、群衆に命じて草の上にすわらせ、五つのパンと二匹の魚を取り、天を見上げて、それらを祝福し、パンを裂いてそれを弟子たちに与えられたので、弟子たちは群衆に配った。
見ていました しかしただ見るのと、覚えておくのとは別のこと 彼らは覚えていました。
そして復活したイエス様を正しく認識し理解することが「パンを裂く」というしぐさで判断できたのです。
ですから聖書を読んで神様はどんな方なのか、深く知って覚えて欲しいのですただ見る、ただ読む そうではなくて深く知って覚えて下さい。