バビロンと魔術 | 777のクリスチャンへの警告と聖書 蛇のように聡く、鳩のように無垢であれ

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終末におけるクリスチャンへの裁き、悔い改め、聖書の喩えをおもに書いています。
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黙示録18:21
また、ひとりの強い御使いが、大きい、ひき臼のような石を取り上げ、海に投げ入れて言った。「大きな都バビロンは、このように激しく打ち倒されて、もはやなくなって消えうせてしまう。
18:22
立琴をひく者、歌を歌う者、笛を吹く者、ラッパを鳴らす者の声は、もうおまえのうちに聞かれなくなる。あらゆる技術を持った職人たちも、もうおまえのうちに見られなくなる。ひき臼の音も、もうおまえのうちに聞かれなくなる。
18:23
ともしびの光は、もうおまえのうちに輝かなくなる。花婿、花嫁の声も、もうおまえのうちに聞かれなくなる。なぜなら、おまえの商人たちは地上の力ある者どもで、すべての国々の民がおまえの魔術にだまされていたからだ。


魔術について書いて見ようと思います、皆さんにわずらわしい事ではなく 永遠の命に関わることなので。

18:23
ともしびの光は、もうおまえのうちに輝かなくなる。花婿、花嫁の声も、もうおまえのうちに聞かれなくなる。なぜなら、おまえの商人たちは地上の力ある者どもで、すべての国々の民がおまえの魔術にだまされていたからだ。


たとえでは、ともしびは御言葉にたとえられる事が多いようです。 

詩篇:119:105
あなたのみことばは、私の足のともしび、私の道の光です。
2ペテロ: 1:19
また、私たちは、さらに確かな預言のみことばを持っています。夜明けとなって、明けの明星があなたがたの心の中に上るまでは、暗い所を照らすともしびとして、それに目を留めているとよいのです。


花婿(キリスト)花嫁(クリスチャン)

ヨハネによる福音書3:29
花嫁を迎える者は花婿です。そこにいて、花婿のことばに耳を傾けているその友人は、花婿の声を聞いて大いに喜びます。それで、私もその喜びで満たされているのです。
2コリント11: 2
というのも、私は神の熱心をもって、熱心にあなたがたのことを思っているからです。私はあなたがたを、清純な処女として、ひとりの人の花嫁に定め、キリストにささげることにしたからです。


(大事)つまり教会、集会、クリスチャン関連の事柄なのです。以上がわかるとこの箇所も開けてきませんか。

18:23
ともしびの光は、もうおまえのうちに輝かなくなる。花婿、花嫁の声も、もうおまえのうちに聞かれなくなる。なぜなら、おまえの商人たちは地上の力ある者どもで、すべての国々の民がおまえの魔術にだまされていたからだ。


どうしてこうなったのか?魔術を使っていたから いたってシンプルです

たとえば下の動画では水の上を歩いています・・・が




マタイによる福音書:14:25
すると、夜中の三時ごろ、イエスは湖の上を歩いて、彼らのところに行かれた。


こことにています、というかそっくりです では聖霊のものなのか?以下の聖書箇所を参照にしてください。キーワードは「同じ」です



出エジプト記7:10
モーセとアロンはパロのところに行き、主が命じられたとおりに行なった。アロンが自分の杖をパロとその家臣たちの前に投げたとき、それは蛇になった。
7:11
そこで、パロも知恵のある者と呪術者を呼び寄せた。これらのエジプトの呪法師たちもまた彼らの秘術を使って、同じことをした。

出エジプト記7:20
モーセとアロンは主が命じられたとおりに行なった。彼はパロとその家臣の目の前で杖を上げ、ナイルの水を打った。すると、ナイルの水はことごとく血に変わった。
7:21
ナイルの魚は死に、ナイルは臭くなり、エジプト人はナイルの水を飲むことができなくなった。エジプト全土にわたって血があった。
7:22
しかしエジプトの呪法師たちも彼らの秘術を使って同じことをした。それで、パロの心はかたくなになり、彼らの言うことを聞こうとはしなかった。主の言われたとおりである。



出エジプト記8: 5
主はモーセに仰せられた。「アロンに言え。あなたの手に杖を持ち、川の上、流れの上、池の上に差し伸ばし、かえるをエジプトの地に、はい上がらせなさい。」
8: 6
アロンが手をエジプトの水の上に差し伸ばすと、かえるがはい上がって、エジプトの地をおおった。
8: 7
呪法師たちも彼らの秘術を使って、同じようにかえるをエジプトの地の上に、はい上がらせた。



というわけで同じなのです 真似です ですから非常に区別する事は難しい、もっと言うと不可能?かもしれません・・・が 信仰があります。

ローマの手紙: 1:17
なぜなら、福音のうちには神の義が啓示されていて、その義は、信仰に始まり信仰に進ませるからです。「義人は信仰によって生きる。」と書いてあるとおりです。

2テモテ3:15
また、幼いころから聖書に親しんで来たことを知っているからです。聖書はあなたに知恵を与えてキリスト・イエスに対する信仰による救いを受けさせることができるのです。
1テモテ: 6:12
信仰の戦いを勇敢に戦い、永遠のいのちを獲得しなさい。あなたはこのために召され、また、多くの証人たちの前でりっぱな告白をしました。

ヘブライ:11: 1
信仰は望んでいる事がらを保証し、目に見えないものを確信させるものです。


ですので信仰を強くして欲しいのです。

ヘブライ6:12
それは、あなたがたがなまけずに、信仰と忍耐によって約束のものを相続するあの人たちに、ならう者となるためです。


世界の教会では「印と奇跡」聖霊の賜物、油注ぎ などなど沢山行われていますが そういうことに引っかからずに否 自分の欲で誘惑されずに 信仰による忍耐で行って欲しいのです。

そんな動画を集めて見ました 

http://ameblo.jp/rebanonn/theme-10010468416.html

1テモテ1:18
私の子テモテよ。以前あなたについてなされた預言に従って、私はあなたにこの命令をゆだねます。それは、あなたがあの預言によって、信仰と正しい良心を保ち、勇敢に戦い抜くためです。
1:19
ある人たちは、正しい良心を捨てて、信仰の破船に会いました。
1:20
その中には、ヒメナオとアレキサンデルがいます。私は、彼らをサタンに引き渡しました。それは、神をけがしてはならないことを、彼らに学ばせるためです。


こう書かれている以上 信仰の難船にあうクリスチャンも居るわけで、こうならないように↑ 次回はここを書いて見ようかなと思います。