さて、民は災難に会っている人のように、主の耳につぶやいた。 | 777のクリスチャンへの警告と聖書 蛇のように聡く、鳩のように無垢であれ

777のクリスチャンへの警告と聖書 蛇のように聡く、鳩のように無垢であれ

今の時代を知って欲しい クリスチャン専用のブログ
終末におけるクリスチャンへの裁き、悔い改め、聖書の喩えをおもに書いています。
お勧めメッセージです。
http://www.remnant80153christ.com/

民数記 第11章



1) さて、民は災難に会っている人のように、主の耳につぶやいた。主はこれを聞いて怒りを発せられ、主の火が彼らのうちに燃えあがって、宿営の端を焼いた。
2) そこで民はモーセにむかって叫んだ。モーセが主に祈ったので、その火はしずまった。
3) 主の火が彼らのうちに燃えあがったことによって、その所の名はタベラと呼ばれた。


ここを見て行きます「たとえ」をもって

http://ameblo.jp/rebanonn/entry-10818584079.html この記事では上の聖書箇所の新改訳を見ましたが、今度は口語訳を見ていて発見しましたので書こうと思います


1) さて、民は災難に会っている人のように、主の耳につぶやいた。主はこれを聞いて怒りを発せられ、主の火が彼らのうちに燃えあがって、宿営の端を焼いた。

1コリント10章 ヘブライの手紙3章などで旧約の荒野の出来事は新約時代のクリスチャンに向けて書かれていることが解ります、民は神に購われた、奴隷から買い戻され神のものになった選民の民、主に購われた民 つまり今で言う所のクリスチャンに相当します。

ですので昔の事とは思わず、今の時代のことと見るべきです。


1) さて、民は災難に会っている人のように、主の耳につぶやいた。主はこれを聞いて怒りを発せられ、主の火が彼らのうちに燃えあがって、宿営の端を焼いた。


事の発端は何か?これです。

さて、民は災難に会っている人のように、主の耳につぶやいた。

どうだろう?普通に聖書を元に教会関係をやっているのに『災難にあっている人のように神さまにつぶやく』実はこれが事の発端です、事の発端とは何か

主はこれを聞いて怒りを発せられ、主の火が彼らのうちに燃えあがって、宿営の端を焼いた。

宿営は神殿、宮、礼拝する場所 つまり教会を指し教会への、そこに住む人達への預言となってます

1) さて、民は災難に会っている人のように、主の耳につぶやいた。

皆さんこれ気をつけてください、というのも 昔ながらの教会運営、かつては普通にしていた事柄なのにこのように災難にあっている人のようにつぶやく 事が無いように・・・といっても、今の時代奉仕が沢山増え、つまりこの世的な、この世と歩調をあわせるような教会関係の奉仕がとても多いのです、電気も今の時代ありますし、『電気を使ったあらゆる奉仕』も追加され 次

民は災難にあっている人のように、主の耳につぶやきやすくなっている と見ています、そんな経験ありませんか。

色々、次々と増やし続けているので、クリスチャンが少なくなってくるとひとりで何重にも奉仕をして

民は災難にあっている人のように、主の耳につぶやきやすくなっている とも見ています。
後は神に背き、好き勝手やって 自分の目に良い と思うことをしているのでどんどんどんどん追加されています。

1) さて、民は災難に会っている人のように、主の耳につぶやいた。主はこれを聞いて怒りを発せられ、主の火が彼らのうちに燃えあがって、宿営の端を焼いた。

『旧約のことは今と関係ない』と思っているとこの箇所も素通りするのですが、そんなことは無いです、というのもコラの反逆の箇所も終末における神の裁きと直結しているからです(ユダ書)

ですのでここからわかる事、危険を回避する事は


1) さて、民は災難に会っている人のように、主の耳につぶやいた。

こうなら無いようにするのが良いとわかるわけです、ですのでこうならないようにつまり安息に入っていただきたいです。ヘブライ3~4章 間違っても自分たちの目に良いと映ることをしつづけ、増やし、それが発端となり、災難にあっている人のように、主の耳につぶやかないように


1) さて、民は災難に会っている人のように、主の耳につぶやいた。主はこれを聞いて怒りを発せられ、主の火が彼らのうちに燃えあがって、宿営の端を焼いた。
2) そこで民はモーセにむかって叫んだ。モーセが主に祈ったので、その火はしずまった。
3) 主の火が彼らのうちに燃えあがったことによって、その所の名はタベラと呼ばれた。


さて、モーセはそれらを知って神にとりなしをしました、我々も神におそれを持ってお祈りし つまり、そういう人達を見て見ぬ振りするのではなく、神様にとりなしをしましょう、またそういう人にならないように、そしてこれは、ただ個人でつぶやいたから個人で解決、ただの個人の問題・・・ということではなく宿営(教会)全体に影響を与える事である事を知りましょう。