鳥たちの合唱が賑やかな朝。

夏至を歓迎する声のようにも聞こえる。

 

本当なら足取り軽やかに季節を楽しみたいところだけれど、身体というものはなかなか思うようには動いてくれない。

 

 

転んでから1週間以上が経ち、だいぶ右足も上がるようになってきた。

それでも、浴槽に入る時と出る時はまだ少しよろけそうになるので要注意。

 

何気なくできていた寝返りが、痛みなくできるだけで「幸せだな」と感じる今日この頃である。

 

 

 

 

そんな安静時間のお供になっているのが読書。

 

読みおえた原田マハさんの『たゆたえども沈まず』は、まるでセーヌ川の流れのようにスイスイスラスラと読めた。

 

いや、スラスラというより、没入感がすごい。

 

気がつけば紙面に顔がくっついているのではないかと思うほど、前のめりになって読んでいたのではないか(笑)

 

 

  

 

 

私は時々、ゴッホという人物に自分を重ねることがある。

それは絵を描くことだけに限らない。

 

ゴッホが画家になる前の、どこへ向かえばいいのかわからないような彷徨いの時間。そして、この道だと決めてからも続いた葛藤。

 

本人にしか見ることのできなかった景色や眼差しを、物語を通して別の角度から見つめている自分がいた。

 

「たゆたう」という言葉には、迷いや揺らぎだけではなく、その人にしか持てない大切な時間が隠されているように思う。

 

ゴッホが苦しみながらも、自分が描きたいと思う絵を描き続けることができたのなら、それは良かったと思いたい。

 

私はまだ、描きたいものを形にするところまでは進めていない。

でも、心の中では少しずつ見えてきているものがある。

いつかそれを、自分の手で表現できる日が来るのだろうか。

 

 

 

 

夜空に生命力あふれる流れを描いた「星月夜」。

あの絵に込められたものを思うと、きっと他の作品にも、静かに揺れながらも決して沈まない何かが描かれているのだろう。

 

そして私の中にも、まだ小さいけれど、たゆたいながら沈まないものがあるのかもしれない。