これまでファンクラブに入会させていただいた方々&一人も困窮しない世界へ。 | yasunoriのブログ

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まあるく、優しくをめざします。アトピーと統合失調症、イエスさまと共に生きています。支えてくださる皆さまに感謝です。God bless you^-^*

今日は長くなります。



先日、テレビ朝日で、上白石萌音(かみしらいし・もね)さんが主演の、『霊験お初~震える岩~』(宮部みゆきさん原作)というドラマを観ました。


https://www.tv-asahi.co.jp/reigen-ohatsu/


この物語の中で、心が壊れてしまった武士が、人を次々と切り殺していく、というお話が出てくるのですが、僕はそれを見て、酷い悪人だ!というよりも、『これは僕の前世の姿かもしれないな…』という思いを抱きました。そして僕もそこから気づきをいただき、『これだったら、まだ病気で働けなくて寝ているだけの人のほうが、よっぽどマシだ!』と、心底思いました。今、病気で働けなくて寝ているだけの人、それでいいのです。


僕は、芸能人では、今は、上白石萌音さんと、Aimer(エメ)さんが好きです。どちらも、魂が美しいです。そして、一人の人の中に、弱いところと強いところの両方があるところが、個人的には、魅力的に感じます。


上白石萌音さんの妹さんの、上白石萌歌さんもまた、素敵な女優さんかつ素敵な歌手です。萌音さんのことを考えるときに、萌歌さんの存在を抜きにして考えることは、僕には難しいです。なぜなら、上白石姉妹はきっと、互いに支え合い、守り合い、磨き合い、いたわり合い、きっと何年もお互いに良好な関係のなか切磋琢磨した時期があって、それで今の上白石姉妹があると僕は想像しているからです。

萌歌さんには、萌音さんを支え守ってくれてありがとう、と伝えたいです。萌歌さんの作品や歌にも、人間としてとても大切な心が流れていることを、僕も確かに感じられるようになりました。


僕が生まれて初めて入ったモバイルファンクラブは、美輪明宏さんのファンクラブ(麗人だより)でした。僕が20代のときです。美輪さんの霊的なお言葉や魂からの歌声、立ち振舞いなどが、僕の魂に響きました。


次に僕は、L'Arc~en~CielのHYDEさんのモバイルファンクラブに入りました。僕はHYDEさんのことは、心からHYDEさんの歌や音楽、深いお心などを気に入り、また尊敬しています。


その次に僕は、上白石萌音さんのモバイルファンクラブに入りました。僕が萌音さんのファンクラブに入ったのは、『恋はつづくよどこまでも』のドラマが始まるずっと前で、萌音さんのメジャーデビュー・カバー・ミニアルバム『chouchou(シュシュ)』のCDを聴いて、素敵な歌声だと思い、萌音さんのファンになりました。


その次に僕は、Aimerさんのモバイルファンクラブに入りました。Aimerさんのことは、歌声ももちろん好きですが、それだけでなく、優しくてやわらかい、そして心あるお人柄もとても素敵だな、と思っています。


僕は今は、誰のファンクラブにも入っていません。そしてその分のお金を、僕は今は、『NPO法人 抱樸(ほうぼく)』というところを通じて、毎月1000円だけ、ホームレスの方や、貧しい方々に寄付させていただいています。もちろん、これまでファンクラブに入会させていただいた素敵な皆さまのことは、今でもみんな好きです。今ではネットが普及して、ほとんどお金をかけなくても色々アクセスできる情報や作品もあり、ありがたいです。


僕は今は、自分のツインレイを探しています。でも最近、僕も恋人のいない生活にもすっかり慣れてきて、恋人がいなくても、以前よりも心がいくらか落ち着いて過ごせるようになってきました。支えてくださる両親や社会の皆さま、そして神様にも心より感謝しています。


僕も個人的に思うことは、解脱(げだつ。輪廻を卒業して、もう生まれ変わらない境地に達すること)に必要なことは、あるいは天国に入るために必要なことは、完全無欠な人間になることではなくて、自分も何らかの弱さを抱えた一人の人間として、様々な弱さを抱えられた他の人のことも、憐れみの心を持って、優しく理解し、ゆるし、寄り添って、共に無条件に分かち合いながら、共に生き、すべての人の幸せを願いながら生きていくこと、一人も困窮しない世界を作っていくこと、このことに尽きるのではないか、と僕は今、思っています。


何か、煩悩や、解決できない欲があったままでいいのです。僕は、個人の解脱や、個人の救いだけでなく、共同(あるいは共同体)の悟りや、共同の救いなどもあるのではないか、と最近では思うことも多くなりました。自分は救われたから、後の人や他の人のことは知らない、というのでは、何か僕はしっくりこないのです。そして僕は、特定の宗教に属する人だけが救われるとも思えませんし、特定の宗教の布教や伝道がその問題を解決できるとも思えません。


もっと普遍的に、何教何宗であろうとも、どこの国の人も、同じ人間として、地球家族として、一人も困窮しない世界を皆で作っていけたらいいな、と、僕は夢見ています。もちろん、多様性も尊重します。


僕がカトリック信徒になるときにお世話になった晴佐久昌英(はれさく・まさひで)神父さんは、以前、いのフェス(いのり☆フェスティバル)で宮台真司さんとご対談されたときに、来場者の方からのご質問で、『自分はクリスチャンになったけど、浄土真宗だったおばあちゃんは天国に行けないのですか?』という感じのご質問に、晴佐久神父さんは、『大丈夫ですよ。おばあちゃんもきっと救われています。もし万が一、天国におられなくても、極楽浄土には行っておられるかもしれませんね。』また、晴佐久神父さんはこうも続けます、『自分が天国に行って、そこに自分の大好きな人がいなかったら、そこは本当に天国ですかね?』とも話しておられました。
僕もYouTubeでこのお話を拝見して、今でも印象に残っています。


参考リンク


【いのフェス2013】宮台真司×晴佐久昌英 対談 「信じる者はホントに救われる?」(1)


https://youtu.be/SgvbysxCb2o?si=iOUYm0bc_cQOyAYb



よほどカルトでなければ、何教何宗だっていいと僕は思っています。きっとみんな天国に行けます。少なくとも、あなたに繋がっている人は、きっとみんな天国に行けます。


現在のカトリックでは、キリスト教じゃないと救われないとは考えないので、他の宗教や無宗教の方を、カトリックに変えようだとか、カトリックに入れたいとは考えません。あなたは、あなたのままで救われるのです。宗教宗派を超えて、一人の人間と人間が心から出逢う、そんなときを、僕も大切にしていきたい、と思います。


ちなみに、キリスト教では、プロテスタントもカトリックも共に、カルマ論は採用されていません。病気も貧困も、自己責任ではないのです。

精神疾患も、個人の病理以上に、社会の病理の影響が大きいと専門家の間では言われています。誰かが必要以上に欲張るツケやしわ寄せのために、他の人が身代わりや犠牲になって、病や貧困になる場合も多いのです。


ちなみに、聖書では、病をこう捉えています。

“9:1 イエスが道をとおっておられるとき、生れつきの盲人を見られた。 9:2 弟子たちはイエスに尋ねて言った、「先生、この人が生れつき盲人なのは、だれが罪を犯したためですか。本人ですか、それともその両親ですか」。 9:3 イエスは答えられた、「本人が罪を犯したのでもなく、また、その両親が犯したのでもない。ただ神のみわざが、彼の上に現れるためである。” 新約聖書、ヨハネによる福音書9章1-3節。聖書 口語訳:(c)日本聖書協会 Japan Bible Society , Tokyo 1954,1955


聖書からの引用終わり。


そしてここからも肝心で、仮に、もしカルマの影響があったとしても、僕は自分がカルマが軽くなって将来大金持ちになることがあったとしても、僕はもし自分が大金持ちでいて、同時に貧しくて苦しんでいる他の人がおられたら、その貧しい人を放っておけないのです。僕はもし自分が大金持ちだったら、喜んで沢山の税金を払います。寄付もさせていただきたいです。

僕は、あまり贅沢をすることに幸せを感じず、そのかわり、貧しい人が助かったら、とてもうれしいなあ、と感じます。(僕は、お金もほどほどで満足します。)


たとえ因果応報がもしあったとしても、僕は、病や貧困を自己責任論で切り捨てることはできません。そうではなくて、一時少しばかり何かを預かった人たちが、互いに無条件で分かち合い、皆が幸せに暮らしている、僕はこのことを望むのです。


僕は、たとえカルマの法則や因果応報があったとしても、自分だけが良い暮らしをしている傍らで、誰か貧しくて苦しんでいる人がいたら、僕はその人を放っておけないのです。自分や自分の家族が大丈夫でも、まだ他に苦しい人がおられるなら、まだ僕は心から安心できないのです。何か自分にさせていただける些細なことがあれば、僕も少しでも何かさせていただけたらいいなと思い、今も少額の寄付やボランティアなどを続けています。


追伸です。

もし大金持ちになれた人生で、一時預かった富などを、貧しい人とあまり分かち合わなかった場合は、もしかしたら、それも一種の魂の負債になるのかもしれません。

最近では、大金持ちでも、しっかりと納税した上に、更に色々なところに寄付をされている方も増えてきましたよね。ありがたいことです。益々、わたしたちの世界や社会が、足るを知るの心で、明日はわが身の心で、お互い様の心で、心ある社会になっていけますように。