槇原敬之さんの帰りをいつまでも待っています。 | yasunoriのブログ

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まあるく、優しくをめざします。アトピーと統合失調症、イエスさまと共に生きています。支えてくださる皆さまに感謝です。God bless you^-^*

槇原敬之さんのニュースを観て、僕も色々と考えさせられています。

マイノリティであられることでの社会からの偏見やストレスも多くあったことと思います。また、人と人との繋がりが弱くなり、寂しさやむなしさを生みやすい現代の社会の在り方についても考えさせられます。今回の槇原さんの件も、個人に責任が帰せられる問題ではなく、社会全体の問題であり、社会全体の責任であると僕は思います。

新約聖書ヨハネによる福音書8章7節より、
“「あなたたちのなかで罪を犯したことのない者が、まず、この女に石を投げなさい。」(新共同訳)”というイエスさまのことばを思い出します。
ここでの罪とは、刑法上の罪だけでなく、思い、言葉、行い、怠りを含めた霊的な罪も入っていると個人的には解釈しています。

尚、同性愛についての医学的及び霊的な見解を述べさせていただければ、自分の意思で志向を選べない、変えられないものにつきましては、その志向や個性は罪ではないと僕は考えています。神さまは、そのように生まれついた人のことも、深く愛しておられます。

聖書に書かれているような単なる興味の拡大のようなむさぼりの罪と、生まれながらの志向のものは、別物であります。

彼らを差別・偏見するような者は、もう一度生まれ変わって自らも同じ境遇に生まれる可能性も僕は思います。もしくは、煉獄でそのような体験をされるかもしれません。そして、そこで学ぶのです。それも愛であることを。

そして、音楽家でなくともよく分かると思いますが、槇原敬之さんは、本当に優秀な音楽家であります。槇原さんの生み出された音楽は、決して覚せい剤の力を借りて出来たものではありません。彼本来の賜物であります。槇原さんは能力が高いだけではなく、その音楽や歌声、歌詞からも、槇原さんの多大なご苦労と、砕かれた謙遜なご人格を感じることができます。

僕は、何度でも槇原さんの帰りを待っています。聖書にも、“イエスは言われた。「あなたに言っておく。七回どころか七の七十倍までも赦しなさい。”(マタイ福音書18章22節、新共同訳)とありますが、私たちは皆不完全な人間同士、あたたかな社会を作っていきたいと僕は思います。尚、ここでの七の七十倍とは、何回ということではなく、何度でも際限なく赦しなさい、という意味であります。

今こそ槇原さんに、刑罰ではなく、感謝と愛を送りたいです。石を投げるのではなく、皆で槇原さんにチョコレートやお祈りを送るほうがずっといいと僕は思います。