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2006年(H.17)4月頃 〜満28歳〜
ひとつの仕事を3年続ける事も出来なかった僕は、社長を含め社員数5名程の零細企業に正社員として当時勤めていた。(以降Y社と記述する)
〜たこ焼きの生地を使った”冬“限定〜
「クラムチャウダー」
前職以前については後述する事として、このY社がいろんな意味で凄かった。
結果、1年程で退職したこの職場が僕の人生の1回目の転機となったのだが、この当時は当然まだ知る由も無かった。
ソフトウェア会社を親会社として持つ子会社、と言えばまだ聞こえが良く、その親会社から連結決算すら切り捨てられた窓際族の集まり、言わば姥(うば)捨山状態な会社に僕は職業安定所の斡旋で転職した。
「ウチの社長はやり手で以前は親会社でも専務にまで登りつめたけど、派閥争いで負けてこのY社へ飛ばされたの」
そう説明してくれたのは5名の内の紅一点、経理兼事務員のTさん
「部長や課長、東京営業所にいる1名もみんな親会社からの出向と言う名の左遷組なのよ」
「あなたの採用を決めたのは社長よりも面接を担当したK部長で東京へ転勤してくれる可能性があるとみたそうよ」
面接時、確かに東京転勤を打診されたが「上京する気は全くありません」と断ったはずだ。
「社長の考えは大阪に2人、あなたが入社する少し前まで東京に2人いた1人が経費の使い込みが原因で行方知らずになって欠員が出たから、その穴埋めで東京に籍を置かせたいみたいなの」
東京がまた2人に戻れば営業市場が回復すると見込んでいるのだ。
そんな単純な足し算や引き算で営業が成り立つのなら誰も苦労しないと僕は思ったが、当の社長が至極真面目な顔付きで後日本人からも力説された。
Y社での仕事内容は親会社が持つ顧客に対して消耗品費の対応や自社が扱っている商品の追加販売、つまりルートセールスと聞いていたが、入ってみると顧客データは10数年以上前の一覧表から電話でアポイントメント(予約)を取り、プレゼンテーション(提案)のうえ競合他社とコンペ(競争)で獲得と完全に新規開拓営業。
取り扱っていた商品は業務用インクジェットなどの消耗品費以外にコピー機、某大手事務用品を売るための事務所移転対応、通信機器や通信キャリアの提案まで、言うなれば法人の“なんでも屋”である。
“売れるのなら、なんでも売る”と“売れない理由が分からない”が口癖のY社社長。
入社して4日目の朝礼でのこと
社長「ウチの預金残高は今朝の時点で120万しか無いんや、しかも2日以内に入金出来んかったら下請けへの支払いで20万を切る」
「入り立てとは言えお前ももう身内や!ウチの会社の内情をしっかりと理解して俺を助けてくれ!頼む」
新入社員の僕は(入社したのは紛れもない株式会社や、“円”ではなく“ドル”の話をしているんや)と自分に強く言い聞かせた。
小豆島でたこ焼きBarを始めるまでは東京にも居たので「上・京・物・語」 〜中編〜 につづく

