『逆日本史・2』-樋口清之

●札差は、なぜ幕府とともに滅ぶ運命にあったか

 

長崎貿易は、また、日本経済に大きな影響を与えた。貿易自体は幕府の独占事業であり、輸入量もわずかだったが、長崎という窓が一ヵ所開いていたために、日本の貨幣経済は窒息状態におちいらず、たしかな安定成長の歩みを続け、鎖国が解かれると、世界情勢にただちに対応して大きく飛躍することができたのである。

江戸時代のもっとも重要な相場は、米相場と、金・銀・胴の三相場だった。この米相場で非常に儲けたのが、札差(ふださし)などの米商人である。しかし、札差だった商人で、いま残っている家はない。明治維新ですべて潰れてしまったからである。

 

先述したように、札差は旗本・御家人の扶持米を代理で受け取り、その売買をまかされていたから、米相場の上下でその儲けは大きかった。また、札差は旗本・御家人に、毎年入る米に対して先払いし、二、三年先の扶持米を抵当に金を貸したため、その金利も巨額だった。しかも、幕府の許可制によって、その特権を強く保護されていたから、みんな豪勢ではぶりの良い生活をしていた。

 

その札差が明治維新で潰れてしまったのは、彼らの実体が幕府の寄生的存在であったからである。つまり、幕府から与えられていた特権も、旗本・御家人との先駆け契約も、彼らの寄生していた幕藩体制がなくなって明治新政府ができると、そのすべてが無効になってしまった。

これらの米商人にくらべて、金銀相場で儲けた三井家や住友家は、江戸時代に着実に豪商としての地位を築き、明治維新後も、財閥となってさらに大きく発展した。

 

もし、幕府が長崎貿易を行わず、完全に鎖国をしていたら、国際的な影響もなく、金・銀・胴の三貨相場もあまり変動しないはずである。しかし、わずかにせよ長崎貿易をやっていたおかげで、金・銀・銅の相場が変わった。

オランダ・中国とは銀貨を中心に取引していたので、その貿易額の増減によって、まず銀の相場が上下する。すると相対的に金の相場が変動し、それにつれて胴も変わったのである。