アドラー心理学を語る3
第1章 健康なパーソナリティー「アドラー心理学を語る2」は読んでいません。タイトルがグループと瞑想で、今読みたいテーマではなかったので。簡単な内容アドラー心理学における精神的に健康な人とはどんな人なのか簡単な感想 自分が死ぬときにその主治医を呼び出したことをすまないと思った。そんなことを言った患者さんはこの人くらいのものです。(中略)そして彼は死ぬその瞬間まで、自分がどのように生きていくか、どのように死んでいくかを、自分の力で決断して、選び続けました。これは非常に健康なパーソナリティだと思います。(引用)最初に出てきたエピソード。個人的にはこのお話を読めただけで本を読んだ価値があると思った。そのくらい印象的だった。 他人を自分の思いどおりに動かそうと思う人は、怒るのです。だから、他人を思いどおりに動かすことをやめれば、怒らないですむわけです。(引用) ですから、怒りを素直に表現できているのはまだ未熟な、子どもっぽい状態だし、いつも怒りを感じているというのは、その人の対人関係が基本的に勝ち負け、競争の関係にあるからだと、不健康な状態にあるからだと、我々は考えます。(引用) 他人を動かそうと思うこと、勝ち負け、競争は縦の関係。縦方向の人間関係は不健康ということになるのかな。人の行動が自分にも影響する場合に何かが侵害されるのでは、と思うと基本は恐怖で怒りもすこし感じる。問題は直接は関係ないのにそう思ってしまうときとか、状況が限定されるのだろうか。怒りを感じてしまうときに、どうしてそう思ったのか考えるのが大事かもしれない。 憂うつというのは、過去の出来事、過去の失敗をくよくよ考えることですね。そうやっても何も変わらない。不安というのは、未来の出来事をくよくよ考えることですね。(中略)考えたって起こるときは起こるし、起こらないときは起こらない。(引用)寝る前に未来のことをあれこれ考えてしまう。過去にあったことをぐるぐると思い出してしまう。そういった時に思い出したい。最近は寝る前にマインドフルネス瞑想の動画を流している。そうすると、いつの間にか寝ている。何をしているかというと、部屋の音に集中している。過去のことも未来のことも考えていない。そういう状態がいいのかもしれない。 この原因はいったい何だろうという考え方は、結局自分の責任ではないということを言いたいだけなんです。(引用)ちょっと気になった。人がどう動いたかについては原因を探るときに注意が必要だと思う。だけど、人以外の事実に対しては原因を探っていい気がする。それで対策はできると思うから。 手を出さない勇気がいると思う。この子たちの力ではできないんだから、ここで一肌脱いでやろうと考えていると、余計話がややこしくなるだろう。信頼とは、こういうことです。(引用) だから、自分の子どもでも、会社で部下を育成する場合でも、いかに「あなたはなくてはならない存在で、あなたがいるからとても助かる」と言うチャンスを絶えずつくりだしていくかというのが、健康なパーソナリティーに育てていく条件だと思う。(引用)ここ難しいなと思う。急いで何かを達成しようとすると人の育成は見落としがちな気がする。手を出さないで済むような上手なチャンスを作り出すのが難しいと感じる。 最も根本的な本能は所属の本能ではないか。人間にとって、この世の中に属するということ、みんなの仲間であるということが、一番根本的な本能ではないか。(引用)今、何かにきちんとは所属していない。友人もいないしパートナーもいない。でも別になんとも思わない。将来はすこし不安だけど。目に見える仲間はいなくても疎外感がなければ良いのかもしれない。ひとりでいる時はわからないけど、周りの人の態度を見て、仲間ではないのかもと思うのがつらいのかもしれない。 神経症的、あるいは精神病的であるということはどういうことであるかというと、自分あるいは他人を嘘でいつわることです。無意識的な嘘です。意識的な嘘ではありません。(引用) 一人を孤独に感じないんだけど、無意識的な嘘なんだろうか。と不安になった部分。意識的な嘘はいいみたいだから、嘘じゃないと思っていることのほうが要注意だなと思った。 自分自身がまず幸福にならなかったら、配偶者も子どもも誰も救えない。その人たちに不幸のガスをばらまくだけです。(引用) 理想というのが、はっきり自分の空想だとわかっていればいいんです。わかっていればいいんですけど、そこから現実を引き算するようになるとだめなんです。(引用) 理想の状態じゃないと幸せになれないと思わない。「「名著」の読み方」で紹介されていた成功は幸福と同じではない話を思い出した。今この時点でも幸せを感じようとおもえば感じることができる、ということなのかも。 アドラー心理学の創始者であるアルフレッド・アドラーは、いつもこのように言いました。 「何が与えられているかが問題ではなく、与えられているものをどう使っているかが問題だ」(引用) 自分が理想の人間ではないんだから、相手にも理想の人間を求めないほうがフェアでしょう。不完全な人間同士がどうつきあっていくか、これが我々人類の課題なんです。(引用)現時点もこれからも不完全な自分。今あるものでどう生きるか。ついつい無いものが気になるけど、自然にこういった思考で考えられるようになりたい。