こんにちは。
前々回・前回の記事のつづきです。
ひとつめの記事は、
気持ちや考えの「理由」はつい探したくなっちゃうのは
脳がそれっぽい理由をつくりあげて
納得したり安心したい性質だから。
それに捉われなくても大丈夫🙆♀️というお話、
ふたつめの記事は、思考的な理由ではなく
感情を生み出すビリーフを感覚的に探すことが
有効というお話でした。
今回は、それを踏まえて
「理由を知って安心したい」という気持ちは
どうなるの? 置いてけぼりにならない? というお話です。
安心したいから、今の状況に関するデータをつなぎ合わせて
それっぽい理由をつくる、
そうやって上辺の理由で安心するのを止める。
そのクセに気付いて、捉われないようにすると、
どうなるのか。
4月の熊本、すっごく気持ちよかった![]()
もっと深い、命や意識の叡智、
もっと大きな「因果」につながっていくんです。
こう言うとなんだかずいぶん感覚的・抽象的な表現ですが、
例えば、自分の想像を超えたうれしい現実が起こるようになったり、
シンクロニシティが増えたり、
直感・感覚が冴えたり、
それを応援してくれる人が現れたり、そうしたできごとが増えたり・・・
そうしたことがサイン。
常識とかルーティンとか都合にコネクトしているコードをぶっこ抜いて、
魂とか本質にコネクトしていく感覚。
そこにつながっていることの安心は、
上辺的な安心とは比べ物にならない深いものです。
だから、安心して、
それっぽい理由をつくることを放棄しちゃってくださいね。
理由や原因探しが好きで、
自覚した上でやるのはもちろんOKです!
無自覚に捉われるのは、もったいないということです![]()
意識が軽くて直感に優れている人って
「やりたい(直感)」→「やる(行動)」
がダイレクトで、
理由その他の思考を挟まないんですよね。
だから速い。自然の叡智や営みに沿っているからうまくいく。

加藤清正神社にもお参りしました。
わたしたちが思考で理解できることって、
意識というもの、宇宙そのものという大海の
わずか表面1mmぐらいのものだと知っておくと、
直感や感覚を頼りに、深い海にドボンとダイブしたくなるというもの。
だってその大海に何があるか、知りたくない?
わたしは永遠にそこで泳いで、遊んで、笑ったり泣いたり感動していたい。
時に思考に足を捉われては、また飛び込むことを
繰り返しながら。
そして思考は、直感や感覚で捉えたものを具現化するために使う。
そのときものすごいパワーを発揮してくれる頼もしいツールなのだ![]()
今日はここまでにしますね。
読んでくださってありがとうございます!
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