2023年10月27日~29日開催 宇都宮ヒーリングマーケット
2023年11月4日開催 ヒーリングビュッフェin秋葉原
2023年11月12日開催 東京ヒーリングマーケット

各会場にお越しくださった皆様、本当にありがとうございました😊

まとめ記事になってしまい申し訳ありません💦

ですが、この全てのイベントにはご先祖さまと家康公のお導きが繋がっていましたので、敢えてのまとめ記事にて御礼を書かせていただきます。

初めての会場開催だった、宇都宮ヒーリングマーケットやヒーリングビュッフェin秋葉原では、それぞれの会場だからこそお会い出来たと感じられるご縁をいただき、

東京ヒーリングマーケットではリピーター様との再会や、新たなご縁をいただけた出店となりました。

今年も残すところ1ヶ月と半月。

皆様のお力になれた事で未来へと向かう希望が輝いた感触を感じながら、各会場でのイベントを終了いたしました!

年内イベントは僅かとなりましたが、まだまだ各地へと赴きますので、お近くの方やそうではない方もぜひ会場へ足をお運びくださいね😊

お待ちしております!

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さて。タイトルや前述の通り、この3つのイベントへの出店の裏には、ご先祖さまと家康公のお導きがありました。

そちらのお話を書きたいと思います。


10月の半ばに秋田でご先祖さまにお会いした翌々週に出店した宇都宮。

前入りした10月26日にまずお伺いしたのは、『宇都宮二荒山(ふたあらやま)神社』です。

日光にも二荒山神社がありどちらも下野国一宮ですが、こちらは『ふたらさん』と読み御神体(山)は日光三山とされています。


街中にある神社駐車場に着くと、すぐ側に鳥居があったのでそちらから参拝したのですが、こちらは西参道だった様です。


しかし西参道から参拝したおかげで、鳥居をくぐってすぐに鎮座する家康公を祀った東照宮にご挨拶する事が出来ました。

古くから武神として崇められてきた二荒山神社には、平将門の乱に向かう藤原秀郷や、前九年の役・後三年の役へと向かう源頼義・義家親子。
また、源平の争乱に向かう源頼朝や、関ヶ原の戦いへ赴く徳川家康など、

各々に御神徳を賜り武功を挙げたとして、社殿改築や神領・宝物の寄進をしたといいます。

『藤原秀郷』は私の母方のご先祖さまにあたる平将門を討ち取った相手でありますが、その際にこの二荒山神社で授かった霊剣をもって将門を討ったと言われており、

秀郷の7代末裔が秋田で出会った私の父方のご先祖さまにあたる『清原清衡…後の藤原清衡』になるのです。

参拝するまで知らなかった情報でしたが、なんとも不思議な因縁がまた目の前に現れた瞬間でもありました。


現在は餃子の街となった宇都宮ならではの『餃子おみくじ』をひかせていただき、次の探訪地へと向かいます。


宇都宮城址公園にある宇都宮城本丸跡です。

関東七名城のひとつである宇都宮城は、藤原秀郷が築城したとも藤原宗円(宇都宮氏の祖)が築城したともいわれています。

前九年の役に際し源頼義・義家親子に伴われて奥州征伐に赴いた宗円は、その功により二荒山神社の座主の地位と毛野川(鬼怒川)流域一体の支配権を与えられ、

その後『宇都宮氏』となった鎌倉時代から安土桃山時代の約530年間、この地を治めました。

そうした話をボランティアガイドのおじいちゃま・おばちゃま達と話し、意味あってこの宇都宮に来たんだね…としみじみ語り合い、この日の探訪を終了しました。


イベントの終了した翌日の10月30日、地図を見ていて気になった『大谷観音 おおやかんのん』を訪れました。

坂東三十三観音の第十九番札所にあたる『大谷寺 おおやじ』の御本尊である千手観音は、『大谷磨崖仏 おおやまがいぶつ』の内の一体で、

他に伝釈迦三尊像・伝薬師三尊像・伝阿弥陀三尊像が切り立った大谷石の壁に彫られています。

大谷石とはこの一帯で採掘される軽石凝灰岩の石材で、柔らかく加工がしやすいのが特徴だと言われます。

石の町『真鶴』から来た私には、ぴったりな場所だな…と思いながら、平安中期から鎌倉時代に彫られたであろう芸術作品を鑑賞しました。

大谷寺を出ると駐車場のおじちゃまが、『ぜひ平和観音も見に行ったら良いよ』と勧めてくれましたので、歩いて2~3分の所にある平和観音を目指します。


切り立った大谷石の壁が神秘的な景色を創り出しているその先に、平和観音様が鎮座されていました。


世界平和を願う平和観音は、1948年(昭和23年)から1954年(昭和29年)までの6年間をかけて総手彫りにより創られ、1956年(昭和31年)に開眼された物です。

1945年(昭和20年)に終戦を迎えた日本。
戦後間もない渾沌とした状況の中、日々の暮らしにも不安を感じていたであろう人々が、世界平和を願い創り上げた観音像は、

その時代を生きた人たちの想いを纏い、穏やかな微笑みを浮かべています。

自然と涙が頬を伝うのは、そんな背景を視せてくれたからでした。


その後は鬼怒川沿いを、大前神社・白鷺神社・結城城跡・結城諏訪神社・逆井城跡と探訪し、茨城県坂東市あたりまで下って来てから高速に乗り帰ります。

坂東平氏だった母方のご先祖さまの地へと向かわされた行程に、不思議な導きを感じながらの旅でした。


ヒーリングビュッフェ開催前日の11月3日、私は茨城県水戸市あたりにいました。

というのも、実は今あるプロジェクトの下準備で動いており、そのために準じた必要な場所へ訪れる事柄をイベントに合わせてスケジュールしているのです。

その道中で立ち寄った場所に気になる銅像があり、見てみると『大石内蔵助像』でした。


水戸市にほど近い笠間市は、かつて浅野氏が藩主となった笠間城があり、下御殿を建てた現在の山麓公園の麓に城下町を整えたといいます。

浅野氏の家老であった大石氏は御殿の直ぐ下であるこの場所に屋敷を与えられていた…その跡地でした。

ここで暮らしていた大石氏とは、内蔵助の曽祖父や祖父にあたる人物ですから、赤穂城へと浅野氏が移る前の時代という事になるでしょう。

『赤穂浪士』として有名な内蔵助に関わる場所には、実はかなり訪れています。

赤穂城、備中松山城、赤穂浪士供養塔のある泉岳寺など…。

その縁地を巡った記録を書けてはいませんが、ここで巡り合わせた事を考えると、書けずにいるそのヒストリーを完成しろと言われている気がしました。

赤穂事件は大衆観劇になった事もあり、実際とは違うイメージが皆さんに根付いてしまっているので、私が彼らと接触した中での真実をお伝えしていかなければならないのかもしれません。

このお話についてはまたいつか皆さんに読んでいただけたら幸いです。

水戸でのアポイントをこなした後に、群馬県太田市へと向かいます。

ここでのアポイントは取っていなかったため、空振りとなってしまうのですが、太田市には世良田東照宮がある事を思い出しました。

世良田は、家康公の祖先である新田義季(にったよしすえ)の開発した世良田郷であり、郷内利根川沿いの押切を徳川と名付けた事もあり徳川義季とも称したといわれています。

松平姓を名乗っていた家康公が三河一国を治めた25歳の時、義季にあやかり徳川に複姓し更に清和源氏を僭称(せんしょう:身分を越えて名乗る事)したともいわれ、世良田は徳川氏発祥の地とされているのです。


そう言えば宇都宮に入ってすぐに二荒山神社で東照宮に参拝し、大谷寺でも葵の御紋を見ていました。

※大谷寺

水戸で遭遇した大石内蔵助も江戸時代…5代将軍綱吉公の時代の出来事ですし、全てが徳川家で繋がっている事に気付きました。

翌日のイベントは秋葉原、その翌週には水道橋でのイベントを控えている事を照らし合わせると、江戸城を囲む様に出向いて行くかの様です。

今取り組んでいるプロジェクトにも、大きく家康公が関わってくださっている気がして、有り難さを感じながらの参拝となりました。


11月に入ってもなお暖かい日が続いているので、境内の桜が狂い咲きをしていた…というのも印象的で、単なる異常気象の問題ではなく家康公からの祝福に感じます。

そんな中でひいたおみくじは、驚く事に人生で初めていただいた『大大大吉』でした。


おみくじ番号も『第特番』と書いてあり、家康公からの愛をひしひしと感じるおみくじは、

ご先祖さまを敬いながらその縁地を訪ね歩いてきた私の『心』を、同じようにご先祖さまを敬う家康公が褒めてくださったような気がして…本当に嬉しかったです。

プロジェクトの内容はタイミングが来ましたらお話しますが、大いなる祝福の中で進行中である事を感じられた一連の流れでした。

そうした動きの中での各イベントのご縁でしたので、お会いした皆様にも同じような祝福が注がれた事と思います。

まだまだ続く祝福のおすそ分けを、ぜひこの機会にいただきに来てくださいね!