時を越えて思い伝える~リーディングセラピストMaho~

時を越えて思い伝える~リーディングセラピストMaho~

とにかく、神社が大好きな私。時折、不思議な体験をいたします。そんなお話を思うまま綴っていきます。

4/5(日)

いよいよ最終日となりました。

今回の旅もかなり歩き回り…しかも登山・階段が多目だったので足腰にだいぶ疲れが出ていましたが、

コロナの影響でしばらくは旅も出来なくなるだろうという予想が出来ていたので、頑張って夜明け前に起床して出発する事にしました。

まずは岡山市の『大神神社 おおがじんじゃ』へのご挨拶からスタートします。



御祭神

大物主神(おおものぬしのかみ)
少名毘古那神(すくなひこなのかみ)
三穂津姫神(みほつひめのかみ)
大穴牟遅神(おおなむちのかみ=大国主命)

大和国(現在の奈良県)大神神社(おおみわじんじゃ)よりご分霊を勧請し創建された、歴史の古い神社です。
※ただしこちらは、おおが と読みます。

こちらの神社の鎮座地は昔『土師之森 はじのもり』と呼ばれ、当社も『土師宮 はじのみや』と称されていたといいます。

この地にも確かに土師氏が息づいていた証の神社です。

本殿にご挨拶してから境内社を回っていると、ご近所の方らしきおじちゃまが、不思議そうに私に近付いてきました。



狛犬さんの後ろ姿を撮影する私におじちゃまは、

『なんか…あちこちの神社を巡るお仕事かなんかかね? 』

といいます。

確かに! 鋭いですね。

『そうですね~。仕事であちこちに出張するので、こうして縁のある神社を巡って、ブログの記事にしているんです』

と答えると、そーかそーか。と言って笑顔で少しお話をしてくださいました。

時期的に、明らかに地元民ではない私がウロウロとしている事が何となくはばかられる時に、こうして話しかけてくださる事が嬉しく、感激しました。

神様がおじちゃまの口を借りて、歓迎してくださっているのと同じだと受け取れるからです。

参拝を終えて神社を後にする時、ひと足先に境内を出たおじちゃまの横を通りました。

おじちゃまは何故か後ろ向きに歩いていたので、またそこで顔を合わせて挨拶を交わしました。

『おじちゃま、ありがとう~! お元気で! 』
『おぅ! またな~』

再びこの大神神社を訪れたからといって、またおじちゃまに会えるとは限りません。

人と人との出会いは一期一会。
それを分かっていても『またな』と声をかけてくださる事…それが嬉しいのです。

朝からほっこりする、素晴らしい出会いに恵まれた事に感謝しながら、次の目的地へと向かいます。



瀬戸内市牛窓町(うしまどまち)にやってきました。

ここからは神功皇后の縁の神社を巡ります。


前回の記事でお話したように、私のルーツの中には神功皇后や応神天皇といった八幡宮の神様たちが名を連ねていらっしゃった事が分かり、

元々計画していた行程といえど、やはりこうして導かれているのだな…と感慨深い思いでやってきました。

まずは港近くに鎮座する『五香宮 ごこうぐう』に参拝します。

御祭神

住吉大神(すみよしのおおかみ)
神功皇后(じんぐうこうごう)
応神天皇(おうじんてんのう)
上筒男命(うわつつのおのみこと)
中筒男命(なかつつのおのみこと)
底筒男命(そこつつのおのみこと)




亡き仲哀天皇の遺志を継ぎ朝鮮半島へと向かう神功皇后は、この地で住吉大明神に参拝され、

自らの『腹帯』を外して奉納し(この時ご懐妊中です)、鎧をまとい男装して出発したという伝説が残されています。



神社のふもとの海岸付近には、神功皇后の船を繋いだといわれる『纜石 ともづないし』がありました。



神々の後押しを頂き、男装して気を引き締めた皇后の心は、この瀬戸内の港町の景色の様に既に穏やかであったのではないかと、思うのです。

内海から外海へ。

穏やかな内海を知るからこそ、荒れ狂う外海を乗り越え戻ろうと思える。

そんな言葉を頂いた気がしました。

自身がしっかりと整えられてさえいれば、どんな困難があったとしても揺らぐ事はないのだと、仰ってくださっているようでした。

確かにこの時、先の見えない不安に襲われていました。

こんな風に世界的にダメージを与えるウイルスが猛威を振るい始めている事を、

どこかでは信じ…どこかでは全くのデタラメではないのか? と疑い、

ウイルス自体の脅威に対しての不安よりも、そうした『本当の事』を感じ取れない不安に、より大きく襲われていたのです。

記事を書いている現在の5月末 緊急事態宣言解除後までの間には、具体的な日々の感染者数が分かり、身近にウイルスが潜んで来ていることを知り、

緊急事態宣言や自粛要請などを実際に経験し、初めてそのウイルスの脅威を肌で感じられる様になった訳で、

まだまだこの時点ではそこには至っていませんでした。

そうした時に神功皇后がくださった言葉は、私の胸に深く突き刺さり、

この先どの様な展開が訪れようとも、穏やかに揺らがない自分でいようと思ったのです。



次に訪れたのは『牛窓神社 うしまどじんじゃ』です。

御祭神

神功皇后(じんぐうこうごう)
応神天皇(おうじんてんのう)
武内宿禰命(たけのうちすくねのみこと)

『備前国風土記』逸文に、このような表記があります。

『神功皇后のみ舟、備前の海上を過ぎたまひし時、大きなる牛あり、出でてみ舟を覆(くつがえ)さむとしき。

住吉の明神、老翁と化りて、其の角を以ちて投げ倒したまひき。故に其の処を名づけて牛転(うしまろび)と曰ひき。今、牛窓(うしまど)と云ふは訛れるなり』

神功皇后の船を覆そうとした巨大な牛を、住吉明神が老翁に化けて角を持ち投げ倒した…そこから、牛転(うしまろび)→牛窓(うしまど)と転訛して地名になったということです。

つまりこの時に助けてくださった住吉大明神に参拝された…という経緯が、先程の『五香宮』なのだと思います。

男装してまでこの先の外海に出ていく覚悟をした理由は、この先の旅路には巨大な牛よりももっと手強い敵がいるかもしれないのだと実感した、心の変革の出来事だったのでしょう。



牛窓神社は、そもそもは土地の神霊や氏の祖先の神霊を牛窓明神と呼び祀っていましたが、上記の神功皇后の三韓征伐伝説に基づき、

宇佐八幡宮より御祭神の神々を勧請して牛窓八幡宮→牛窓神社となりました。

宇佐八幡宮というと八幡宮の本社であり、


こちらの記事で触れている、称徳天皇とその愛人の道鏡の皇位を狙う企みで、和気清麻呂公が神託を降ろす神社です。

不思議なご縁で繋がった清麻呂公も、これまた血の繋がりがあった事が、新たに分かりました。

こちらは、私の父方のルーツの先から分かれたご親戚…というくらいの繋がりではありますが、なぜ旅で導かれ出会ったのか? という理由が腑に落ちました。

その清麻呂公の祖先にあたる『弟彦王 おとひこおう』の活躍した時代が、まさにこの神功皇后の三韓征伐の頃でした。

朝鮮半島での戦を終えて凱旋した翌年、筑紫で誉田別命(ほんだわけのみこと)を出産した神功皇后。
 
誉田別命の異母兄弟の忍熊皇子(おしくまのみこ)は、次の皇位が幼い皇子に決まる事を恐れ、皇后軍を迎撃します。

三韓征伐に従軍していた弟彦王は、皇后に命じられ針磨(播磨)と吉備の境に関(備前市三石)を設けて防ぎ、反乱は鎮圧されました。

この勲功により和気氏は備前・美作(みまさか)に土地を貰い栄えたといいます。


以前、広島県福山市へのイベント出店の際に訪れた、岡山県和気町にある和気清麻呂公を祀る和気神社。

現在の地理でいうと、和気町は美作市のすぐ隣の町です。

当然当時であるならば与えられた土地の内でしょうし、現在も土地に名が残っているのは、子孫の和気氏が栄えた証なのです。

また、同じく三韓征伐に従軍していた『難波根子武振熊命 なにわのねこたけふるくまのみこと』は、私の母方の祖父のルーツの方です。

先程の弟彦王と同様、忍熊皇子の反乱を抑えるべく、武内宿禰と協力し、近江の逢坂で忍熊皇子を倒しました。

ここでもまた、時代を共にする父方と母方の御先祖様たち。

こうした歴史の繰り返しから見ると、私の父と母は巡り会うべくして巡り会い、

そこに生まれた私がこうしてその軌跡を追うことは、既に決まっていたかのように感じます。

縁とは不思議なもの。

それをつくづくと感じたのです。



牛窓神社へは、牛窓海水浴場の脇に続く長い長い階段を上がっていきます。

海岸沿いに切り立つ尾根のような参道を無心で登っていくと、整えられた庭園のような見晴台へと到着しました。



この見晴台からは美しい瀬戸内の海と島々を見る事が出来ますが、神社まではまだまだのぼらないと到着しません。

あともうひと踏ん張り! と、気合いを入れ直し歩いていきます。



トンネルの様な林を抜けると、やっと境内前の隋神門に到着しました。



牛窓神社御本殿再建200年記念事業で、225年ぶりに修復された隋神門の隋神様であると、立て札が立っていました。



整えられながらも温かさを感じる本殿の中には、たくさんの錦絵が所狭しと飾られていました。




ゆっくりと拝見させていだきながら、手を合わせて遥か昔の神功皇后へのご挨拶をします。



境内の百度石の窪みに貝殻が置かれているのを見ると、あぁ海の町だな…と感じることが出来、

我が町『真鶴』と同じ漁師町の人々の思いが何故か懐かしく、胸が温かくなりました。

瀬戸内海を望む牛窓町を離れ、イベント会場へと向かいます。

たくさんの歴史とたくさんの神々にお会い出来た今回の旅も、またひとつ私を成長させ、学ばせてくださいました。

本当にありがとうございました。

ここのところの旅の中で、まてい屋兄さんの調べる家系図が、新たな情報が解明された事で大きく大きくなっていきました。

私を作っているもの。

私へ繋いできてくださった方々。

そうした事を実感し感謝に満たされる家系図を、最後に載せたいと思います。

また新たな発見や情報が加われば、更に細かく大きくなっていくはずですが、

現時点での私の家系図をよろしければご覧くださいね。




私を旅へと誘ってくださった、ヒーリングマーケット主催者様、スタッフ様。

会場に足を運びご縁を繋いでくださったお客様、共に出店してくださった出店者様。

長い記事を読んでくださっている読者様。

そして、素晴らしい家系図を調査・制作し、運転手を請け負ってくださっているまてい屋兄さん。

留守を護り、私を送り出してくれた家族。

全ての皆様に感謝です。