2023年10月13日~15日の3日間、秋田ヒーリングマーケットが開催されました。

初開催にも関わらず、事前のご予約をくださった方や、近県からわざわざお越しくださった方、そして会場で受けてくださった方など、本当にたくさんのお客様とのご縁をいただき、ありがとうございました!

秋田の皆さんがフレンドリーに話かけてくださったことも嬉しかったです♡

また来年! 必ず行きます😊
本当にありがとうございました!

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さて。
今回の旅は、意図してはいなかったものの、はるか昔のご先祖さまに会うための旅だったのだな…と、思わざるを得ないミラクルが起きていました。

私は車で現地まで向かっていたので知る術の無かった情報を、宿をとった大曲から会場である横手に向かう初日の道中に聞きました。

『後三年駅』という名の駅が会場の横手市にほど近い所にあり、その名の意味は『後三年の役』の古戦場から付いたものだ。

という内容です。
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平安時代後期(永承6年/1050年)に起こった『前九年の役』については以前も記事に何度か書いていますが、


その後の永保3年(1083年)に起きた『後三年の役』については、記事として書く事がありませんでした。

つまりその縁地に訪れてはいなかったという事です。

思い返すと、関東圏には前九年の役に向かう道中や帰路においての縁地はたくさんあれど、後三年の役についてはあまり接していません。

唯一触れていたのは、私の住む真鶴町に程近い『足柄山』に、後三年の役で苦戦する源義家公を助けるために向かった弟・新羅三郎義光が、笛の極意を授かった恩師の息子に秘曲を伝授し京へ帰したと伝わる『新羅三郎義光吹笙之石』です。
 


しかしこの時も、そうした場所である事や聞こえるはずのない笛の音が聞こえた事象のみで、後三年の役については触れていませんでした。
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その話を聞いていた時に車はちょうど美郷の町に入り、道沿いの看板や道の駅に立つ銅像などが見えた時に、『来るべくして来た地だったのだな…』と実感しました。

その翌日にも後三年駅という駅名に絡み、後三年の役の話を仲間たちと話していたら、

最終日になんと『おもてなし武将隊』のひとつである『清原紅蓮隊』の方々のShowが会場のすぐ側で行われたのです。


清原紅蓮隊とは後三年の役をテーマとした、おもてなし武将たち。

この運びはまさにご先祖さまからのメッセージとしか思えず、大興奮で紅蓮隊の皆様とご挨拶をさせていただきました。

実は主人公は源義家公かな? と思いながらのご挨拶だったのですが、主人公は『清原清衡(きよはらきよひら)』公との事。

当たり前の事ですがここは秋田ですから、攻めいられ守った側の清衡公が主人公な訳です。

この清衡公が後三年の役の後に実父の藤原姓を名乗ったことで、奥州藤原氏が始まっていきます。

以前から書いているように、私の父方は陸奥の安陪氏であり前九年の役の時に滅亡するのですが、清衡公の母は安倍頼時の娘なので安倍氏の血を持った方です。

つまり私のご先祖さまであると言っても過言ではなく、また敵方になる源義家や源義光も母方の先祖として繋がっているので、

清原紅蓮隊の演じる世界の出演者はどちらも私のご先祖さまだったという事になるのです。

タイミングが合えばShowを見に行きます! と言ったものの、行かれたのは終わりの撮影タイムでした。


撮影会後に今年7月に起きた大雨被害への募金を呼びかけていましたので、私も少しですが協力させていただき、貴重な紅蓮隊の皆さんのグッズをGETしました!

イベントの終了した翌日。

たくさんのミラクルとお客様との出会いをくださった、ご先祖さまの縁地を散策して帰路に着きます。


道の駅美郷や金沢柵趾、平安の風わたる公園と天陪の一本杉など。

後三年の役の足跡を踏みしめながら感謝を伝えました。


平安の風わたる公園に後三年の役で活躍した武将たちの銅像があったのですが、清衡公の銅像を写した時だけに光の帯が現れたのは、

きっと私の気持ちを受け取ってくださったからだと思います。

本当に素敵な秋田旅でした。