台風19号の記録的な豪雨により、被災された方々に心よりお見舞いを申し上げます。

私はちょうど大阪への遠征中でした。たくさんの方から心配のご連絡等いただき、ありがとうございました。

私自身も自宅周辺も、離れて暮らす息子も無事でした。

未だ被害により大変な思いをされている方がいらっしゃるなか、無事であるご報告をすべきか本当に悩みました。

それにより、ブログ投稿にしばらくのお時間をいただきましたが、私を応援してくださっている方々にお知らせする必要もあると思い、ご報告をさせていただきました。

また、ニュースで災害の様子を見るにつけ、私自身が旅をしてきた場所や関わりのある場所が爪痕の中にあったり、

前回の台風による復旧がまだ充分では無い中に起きた災害に、心が痛んだことも理由にあります。

本当に切なく悲しい気持ちでいっぱいですが、ひたすら歩き続けること、前に進む事が必要だと教えられた今回の大阪での旅。

こちらのお話をさせていただきたいと思います。

1日も早く皆さまに安堵の日々が訪れます事を、心からお祈り申し上げます。

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10/11(金)

私は大阪でのイベント出店に向けて、神奈川を出発しました。

超大型台風19号の警戒ニュースが数日前から騒がれており、普段はあまり天候を気にしない私の耳にもそれは届き、

まさに大阪へと向かってくる予想進路を目にしていました。

しかし日が近付くにつれ進路は東へと変わりました。

既にご予約を頂いていたこともありましたし、出店すると決めた以上、現地に行く事は揺らぎませんでした。

予定通りに金曜日に出発する分には、影響なく向かえるだろうと判断したのです。

ですが、何となく心がザワザワとする感覚が拭えないのも事実でした。

今回も私は電車での移動です。

前回同様に熱海駅から新幹線で新大阪へと向かいました。

全く同じ様に新幹線へ乗り込み向かっているのですが、今回はやはりそわそわと落ち着きません。

ふわふわと浮遊するような感覚を抑えながら、新大阪に到着しました。

今回はホテルへのチェックイン前に、前回の大阪旅で参拝させていただいた『坐摩神社 行宮 いかすりじんじゃ あんぐう』の現在の鎮座地へご挨拶に伺おうと考え、最寄り駅の御堂筋線・本町駅に向かいます。

※前回の記事はこちらです。合わせてお読みください。



本町駅に着くと、ナビの示す出口へは長い長い地下道を歩きます。



やっと地上に出る階段前に辿り着くと、故・内田裕也氏の写真と共に、ご本人の言葉でしょうか?

『頭のねじくらい 飛んでる方が おもしれぇ。』

という看板に目が止まりました。

その時は理由も分からずに、ただただ納得したのですが、

これも今回の旅を通して伝えてくださった、神様からの学びのひとつだったのかもしれません。

地上に上がり、ナビを見ながら坐摩神社(いかすりじんじゃ)を目指して歩き始めましたが、不思議と全く辿り着けません。

確かに私はどちらかと言えば、方向オンチ気味です。
でもそれによって迷わされるのが嫌なので、なるべくナビは地図として見るようにもしています。

ところが、出口から目的地方向へ向かっているはずが、気付くととんでもない方向へと歩いていました。

そのうちには自分自身がどこにいるのかさえも分からなくなってきます。

単純に方向オンチというレベルの話ではなく、体内にあるGPS機能が失われたと言ったら分かってもらえるでしょうか?

自分でもなぜその方向に向かってしまうのか?

なぜ今いる居場所が分からなくなってしまうのか?

その意味が分からない状況になってしまいました。

結局、道筋にあった交番で案内をしてもらって、坐摩神社へと向かう事が出来ました。



摂津国一宮 坐摩神社(いかすりじんじゃ)

御祭神

生井神(いくいのかみ=井水の神 生命力のある井水の神)
福井神(さくいのかみ=井水の神 幸福と繁栄の井水の神)
綱長井神(つながいのかみ=井水の神 釣瓶を吊す綱の長くとも言われ、深く清らかな井戸水の神)
阿須波神(あすはのかみ=竈神かまどがみ 屋敷神 庭の神)
波比岐神(はひきのかみ=竈神 足場・足下の神 足の神であり旅の神)

こちらの5柱の神々を総称して、坐摩大神と呼び、古代の宮中の守り神として祀られた神様です。

神功皇后だけではなく、もうひとつの摂津国一宮である住吉大社とも深く繋がれている神様だと、今回の旅の記録を書く上で知りました。

古来より住吉大社に伝来されている『住吉大社神代紀』によれば、『坐摩大神を住吉大神の御魂ぞ』と述べているのだそうです。

神功皇后とは、不思議な神様です。

巫女としての力も持ち、状況がそうさせたとはいえ天皇に代わり三韓征伐を果たし、息子の応神天皇が政権を担うまでの間を繋いだとされる神様です。

日本の歴史の中でのキーマンの役割を果たした人物であると感じずにはいられません。

神功皇后の時代から大きく外交が始まったのではないかと、私には感じるのです。





特徴的な御神紋『鷺丸 さぎまる』に目が止まりました。

前回訪れた行宮の地へ、神功皇后が坐摩神を奉斎された際に、松枝に白鷺が群がる所を選んだ事に始まります。

現在でも、神の使いでもある白鷺は見るだけでも幸運に恵まれると言われています。

自然界からのメッセージを重要視していたであろう古代であれば、神秘的な白鷺が群がる場所はまさに神がかった導きの場所であったと思います。

水場が多くあった古代の大阪は、白鷺たちの憩いの場でもあったかもしれませんね。




坐摩大神は、居住地を護る住居守護の神であり、行路の安全を守り給う旅行安全の神でもあります。

手を合わせながら、どうか台風による被害が大きくありませんように…と祈りました。

坐摩神社を後にした私は、ホテルに向かって歩き始めます。

アーリーチェックインで申し込んであるので、一旦荷物を部屋に入れてから大阪歴史博物館に行く予定でした。

ナビ設定をしてみると、チェックイン時間の15分程前に着きそうでしたが、早く着いたらロビーで待つか…などと考えながらスタートしたのです。

歩き出してしばらくすると、高い塀で囲まれた神社が見えてきました。


近付いてみると『難波神社 なんばじんじゃ』である事が分かりました。



境内に入るとすぐにお稲荷様がいらっしゃいました。

『博労稲荷神社 はくろういなりじんじゃ』

境内西側に位置するお稲荷様は、浪速の町が栄えるに従って、船場の商家の中心として篤く信仰されたそうです。

お稲荷様にご挨拶をしていると、急激にお腹が痛くなりました。

境内を見渡してもトイレが見当たらず、仕方なく本殿へ挨拶することなく神社を後にしたのです。

コンビニを探しながら歩いていると、またしても私は反対方向に歩いていたのだと気付かされ、来た方向へ戻る事になったのです。

こんなに迷わされるのはなぜなのか…さっぱり分かりませんが、戻り始めるとお腹の痛みはすーっとひきました。

すると、目の前には再び難波神社が現れました。




先程とは違う入口から境内へと入り、本殿へご挨拶をしました。

道を間違えている事に気付かせるために一旦出されたのか…それとも本殿に挨拶もせずに出た私を引き戻したのか…。

その真意は分かりませんでしたが、兎にも角にもしっかりとご挨拶が出来たわけです。



難波神社

御祭神

仁徳天皇(にんとくてんのう)


3月に第5回大阪ヒーリングマーケット出店に合わせて巡った仁徳天皇陵である大仙陵古墳は、7月に百舌鳥古墳群としてユネスコ世界遺産に登録されましたね。

訪れた直後のニュースでしたから、感動もひとしおでした。

第18代反正天皇(はんぜいてんのう)が現在の大阪府松原市に柴籬宮(しばがきのみや)を開かれた時、父帝の仁徳天皇を御祭神として創建したと伝えられています。

仁徳天皇は応神天皇の息子…つまり、神功皇后の孫ですから、反正天皇はひ孫にあたります。

大阪には神功皇后を中心とした、ちかしい関係の天皇ゆかりの地がたくさんあるのですね。

境内では、鬼瓦の展示準備がされています。
何かのイベントだったのでしょうか?

その様子を横目に見ながら、境内を散策しました。



難波神社は植村文楽軒が境内に人形浄瑠璃小屋を開いたので、文楽発祥の地とされています。

その旨が書かれた看板横に『十四柱相殿神社 じゅうよんはしらあいどのじんじゃ』があったのでご挨拶に伺うと、



秀吉さんと家康さんが、ご一緒に祀られていました。

どちらも私には馴染み深い方々です。

ご挨拶せずに通り過ぎたら、きっと怒られたかもしれませんから、難波神社へ戻された意味がありましたね。

やっとの思いでホテルまで歩くと、時間はちょうど15時でした。

時間があまるかも…なんてチラリと考えたので、調整されたのかもしれません。

それにしても、かなりの距離を荷物と共に歩いたので、着ていた洋服が汗でビッチョリでした。

正直、もうこのまま部屋で休みたいくらいでしたが、どうしても大阪歴史博物館へ行かなければいけないような煽られる感覚があります。

重い腰を持ち上げて、荷物を最小限に減らして出発しました。

一旦リセットしたせいか、足取りは少し軽くなり、体内GPS機能も少し回復したようです。

迷う事はありませんでしたが、でもやはりほんの少し遠回りで到着しました。



NHK大阪放送会館と繋がった特徴的な建物が、大阪歴史博物館です。

大阪城公園のすぐ目の前に建っています。

入場券を購入してまずはエレベーターで10階へと上がり、階を降りながら展示を見るように促されました。



10階のエレベーターの扉が開くと、そこは古代の難波宮 大極殿(なにわのみや たいきょくでん)が原寸大に復元された世界が広がっていました。

先程お詣りした坐摩神社の御祭神は、こうした宮殿内にお祀りされた神様です。

巡った地はやはり、繋がっていたのですね。

大極殿とは朝廷の正殿の事です。

第45代聖武天皇が、奈良の平城京の副都として造営させたとされています。
 
昭和36年(1961年)山根徳太郎氏らの発掘により大極殿跡が発見され、その存在が確認されました。



繁栄を極めた朝廷の古代の世界観にどっぷりと浸かっていると、どこからか話し声がします。

「下の階に降りるなら、エレベーターよりもエスカレーターよ。大阪城がとても素晴らしく見えるから」

その言葉は私にも教えてくれているようでしたからエレベーターへ向かってみると、確かにその大きな窓からは大阪城を素晴らしく一望する事が出来ました。



時にこうした、依り代になられる方がいらっしゃいます。

ご本人にその自覚はありませんが、メッセージとも受け取れる言葉を発したり、行動したりする事があるのです。

ーその②へと続く