723冊目『「ぴえん」という病』(佐々木チワワ 扶桑社新書) | 図書礼賛!

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死ぬまでに1万冊の書評をめざす。たぶん、無理。

 

 

新宿にはよく行くのだが、歌舞伎町だけはどうも苦手である。ゴジラのシンボルがある「新宿TOHOビル」の東側にはちょっと広場があって、若者たちがそこでたむろして酒を飲んだり、タバコを吸ったりしている。こうした若者をトー横キッズというらしい。ここでは売春が公然と行われているようで、中年の男性が若い女性に「君、いくら?」などと声をかけ、そのままラブホテル街に消えていくということがあるらしい。まさに桐野夏生が『路上のX』(280冊目)で描いたJKビジネスであり、糜爛とした街であることこの上ない。歌舞伎町で起っていることに興味もないし、特に知りたくもないといったところが正直な感想だが、著者は、15歳のときから歌舞伎に通い詰めていたという。本書はいわば、著者のフィールドワークの成果として歌舞伎町の生態学といったところだろうか。

 

世代を問わず、承認欲求は誰にでもあるものだが、歌舞伎町に来るような病み系の人々には特にその傾向が強いという。ファッション感覚でリストカットをし、SNSに投稿することが、どうやらこの界隈で流行っているようだが、あまりにも住んでいる世界が違い過ぎて、もはや他人事にしか思えない。ホストや推しに何十万費やそうが、どれだけ自滅的な生き方をしていようが、人様に迷惑さえかけなければ勝手にすればいいのではないか。著者は、ぴえん世代は常にSNSに張り付き、情報を集めることに忙しいあまり、自分の言動を振り返って言語化するだけの余裕がないことから、異様なほどの汎用性を持つ「ぴえん」という言葉が出てくるのだろうと仮説を述べているが(158頁)、私には単純に学力の問題ではないかと思える。

 

ところで、この「ぴえん」世代が、ルッキズムに傾斜していることは興味深い。資本主義の最後の開拓地はどうやら身体に行きついたようだ。現代人は顔や身体を、資本主義的世界の眼差しのなかで編成していかざるをえない。そして、ぴえん世代は、この美しく着飾ることについて異様な執念を見せる。身体的価値がスペックと評され、顔面偏差値やスタイル偏差値などいった言葉も誕生している。容姿に投資しないものは、怠惰で努力不足なダメな人間だというレッテルを貼られる。とはいえ、この構図はどうも既視感がある。そう、『ファスト教養』(719冊目)の発想と瓜二つなのだ。ファスト教養では、ビジネスパーソンがライバルより抜きんでるために軽量化した教養を武器に使うが、ぴえん世代も生き残り戦略としてルッキズムを採用している。

 

新自由主義を生きる戦略は多様である。ビジネス界隈ではファスト教養で、ぴえん世代はルッキズムである。前者はコスパを重視した似非教養で、後者は他者に視線を意識した身体の改変であるが、どちらも共通しているのは、他者を出し抜き、成り上がる手段として使われているところだ。『ファスト教養』の著者レジーは、ファスト教養は保守的な道徳感との親和性が強いと述べているが、ぴえん世代のルッキズムも似たような傾向にある。いかにも中年男性が言いそうな「美人が得するのは当たり前」という言葉は、「かわいいは正義」などと変換されて、令和時代において保守的な価値観が命脈を保つ土壌を形成している。新自由主義は経済が全ての基準になると言われるが、それはどうやら間違っていたようだ。新自由主義は人びとの競争意識を刺激しながら、かつて旧道徳を呼び起こす役目も果たしている。『家父長制と資本制』の新たな史的展開がここにある。