613冊目『ためぐち韓国語』(四方田犬彦 金光英実 平凡社新書) | 図書礼賛!

図書礼賛!

死ぬまでに1万冊の書評をめざす。たぶん、無理。

 

 

ここ二年くらい韓国語を勉強している。勉強内容は単語集に載っている単語と例文の暗記である。去年は『できる韓国語初級単語集』(李志暎 朴雪煕 DEKIRU出版) を50周して、基礎的な韓国語はだいたい覚えた。あとは、韓国人とのオンライン会話である。私の韓国語レベルでは、「夕食食べた?」、「いま何してるの?」などといったありきたりな内容までしか話せないが、それでも最近、全斗煥政権時代の話が話題に上ったりして、ちょっとずつ自分の韓国語も上達してるのかなと感じる。ところで、その韓国人から「與那覇さんの韓国語は可愛いですね」と言われたことがある。その韓国人によると、教科書的でいかにも初心者的な私の韓国語がむしろ可愛らしく聞こえるというのだ。とはいえ、私としては複雑だ。それは実践としての韓国語には程遠いというのだから。

 

韓国人と本当に心の通ったコミュニケーションをしようと思えば、やはりパンマルを実践する必要がある。パンマルとは「ためぐち」という意味だ。私はチョンテマル(敬語)もろくに使えないから、ためぐち学習など早計かもしれないが、ためぐちを使える局面では使うといった柔軟性も身につけたい。四方田犬彦はこう言っている。「だがその一方で、いつまでもよそよそしい言葉遣いしか口にしないでいるならば、同世代の韓国人がけっして心を割ってこちらに話しかけくれないことも事実なのである。もっと気楽に友だちになろうやと、韓国人がいってきたときき、咄嗟にそれに応じるだけの簡単な言葉の備えがなければならない。」(はじめに)。なるほど、腹を割ったコミュニケーションの鍵はパンマルにありだ。本書は、格好のパンマル入門の本である。

 

本書を読みながら改めて気づいたのは、言葉はやはり人々の行動や思想と結びついていることだ。ためぐち韓国語を通して韓国人の生活が見えてくる。たとえば、韓国人の気性を表す言葉として、「ぱり」という言葉がある(122頁)。「ぱり」は速いという意味だ。韓国には「ぱりぱり文化」とも言われるように、とにかく物事を早く処理し、素早くこなすことを良しとする価値観がある。この「ぱりぱり文化」が漢江の奇跡を生み出し、今の韓国の繁栄を築いている。たしかに冷静沈着の主人公というのは韓国映画にはどうも似合わない。主人公のとっさの行動が状況を大きく変え、新たな局面を迎える。そんな韓国映画のダイナミックさは、この「ぱり」の精神に支えられている。入念な下準備よりもとにかく行動することが大事だ、エラーは行動しながら修正していけばいい。「ぱり」の言葉の裏には、韓国人のそんな生活知が窺える。

 

教科書的な韓国語しか勉強していない私にとって、本書に掲載されているパンマルは知らないものばかりだった。とくに悪口とか下ネタあたりは普通の学習本では学ぶことができない。女性性器を意味する罵倒語「しばる」(180頁)などという言葉を実践で使う機会はあまりないだろうが、実はこの言葉は韓国映画を見ていると非常によく出てくる。私はヤン・イクチュン監督『息もできない』(2006)に出てくる「しばる」の数をカウントしたことがあるが、全部で133回あった。韓国語の罵倒語はもはやひとつの文化とも呼べるくらいで、『サニー』(2011)では、対立する女子校生同士の罵り合いがあるが、あれはもはや聴衆を楽しませる見世物になっている。韓国語の罵倒語は、相手を罵りながらも周囲を楽しませる芸でもあるのだ。ところで最近、あまりに韓国映画ばかりを見ているせいか、私もまた、ちょっとイラついたり、仕事でミスをしたりすると、思わず「しばる」と言ってしまうことがある。少しずつ韓国人の感覚を持ち始めているのかもしれない。