387冊目『東京から考える』(東浩紀 北田暁大 NHKBOOKS) | 図書礼賛!

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 私は、大学院に進学するため、2010年に上京した。就業の時期を含む3年間を東京で過ごし、一旦、地元の沖縄に帰った。その時は二度と東京に来ることはないだろうと思っていた。しかし、私は2017年にもう一度東京に上京することになる。現在も東京都内に在住であり、当分沖縄に戻るつもりはない。さて、私は東京におよそ6年程住んでいることになり、それなりに都会生活に馴れてはきたのだが、新宿や渋谷あたりの人混みはいつ見ても異常だと思う。実際、東京の人口は今でも増加している。しかし、少子化の影響により、地方では人口減少が進んでいる。とはいっても、東京都の合計特殊出生率は、1・21パーセントであり、都道県別で最低である。それでも、東京の人口増加が止まらないのは、端的に地方からの人口流動によるものである。地方の産業が空洞化し、富が一極集中している東京が最後の望みとばかりに、若者が東京への進出を目論んでいるのだ。

 都市に住むのは心地よい。都市にはさまざまな人がいる。私は東京で、北海道から沖縄に至るまで、さまざまな地方出身の人に会い、多くの刺激を受けてきた。単調な地方での生活に比したときに、出会いによる刺激は都市の特権だといえるだろう。しかし、同時に都市は脆い存在でもある。私は2011年3月11日に東日本大震災を体験した。今までに経験したこともない巨大な地震に心底恐怖を感じながらも、同時に、事後の都市機能麻痺の恐ろしさを知った。あらゆる交通網がストップし、バスが動いているとわかれば、バス停に長蛇の列が並ぶといったありさまだ。また、近所のスーパーからは軒並み飲食物が消え、サバイバルの様相を呈していた。都市に集う群衆が一瞬にして動物化する現象を、今年(2019年)のスーパー台風による関東襲撃にときに私はもう一度見ることになる。

 本書は2007年の刊行だから、人間の動物化が都市を規定するという東浩紀の見たてに震災などの大災害に関する考察が抜けているのは仕方がない。しかし、私がいま、もっとも不安に感じるのは、南海トラフ大地震、あるいは首都直下型地震による混迷極まる都市の姿である。もちろん、「災害ユートピア」という言葉があるように、危機的状況に陥いるからこそ人々の連帯の機能が高まるという、多少楽観的な見通しも全否定はしない。しかし、混乱が長期化し、水・食料などの生存にとって不可欠な物資が希少になったとき、そうした連帯はもろくも崩れ去るだろう。物資が希少になればなるほど、サバイバルになるのは動物の本能である。都市というのは、人間の動物化を覆い隠しながら、それがいとも簡単に暴かれる場なのかもしれない。

 本書は、東京という磁場から「格差」、「郊外」、「ナショナリズム」の問題を考え抜いた東浩紀と北田暁大の対談である。残念ながら、私は、東浩紀の熱心の読者ではないし、北田にいたっては一冊の著作も読んだことがない。したがって、彼らが積み上げてきた思想的蓄積の結実である今回の対談が基底とする思想の地平を私は捉えきれていない。しかし、地方《豊穣》⇔都市《画一的》という単純な二項対立では捉えきれない都市の機能を見出すことや、はっきりとした東西格差がある東京が表象的にはそれが見えない都市機能になっていることなどの指摘は、勉強になった。思えば、私は《今ここにいる場所》から考えるという視点が弱かったと思う。本書でも東や北田は自身の学生時代の体験を振り返り、そして実際、対象となる街を歩くことから、「考える」ことを出発させている。私たちを取り巻く何気ない風景に哲学は潜んでいる。私は自分の住む東京という地をもっと考えなければならないと思った。まず、散歩から始めよう。