388冊目『日本の分断』(吉川徹 光文社新書) | 図書礼賛!

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 平成時代を振り返るとき、日本社会を象徴するもっともふさわしい言葉は「格差社会」だろう。「失われた30年」は、持つと持たざるものがはっきり分断された。ツイッターで1憶円をばらまく成金もいれば、生活の基幹である衣食住ですら事欠く人々もいる。一般的にこうした格差の問題は世代の問題として捉えられることが多い。たしかに高度成長期を生きたバブル世代と低成長を生きるポストバブル世代では、明らかに富の蓄積という点で差があるだろう。しかし、ひとくちに格差といっても、それは経済のことだけを指すのではない。結婚、旅行、友人付き合いといったライフスタイルの充実においても格差はある。本書では、この現代の格差社会の根源には、大卒者か非大卒者かという分岐点が明白に存在していると主張する。そして、著者によれば、将来の日本社会に待っているのは、大卒、非大卒を軸とした分断社会なのだという。

 現代の日本では、大卒と非大卒のあいだに明らかに断絶がある。しかし、私たちは日頃、そのことをそれほど意識しない。しかし、少し考えてみれば、私の場合、会話をかわす相手、仕事で付き合う相手、プライベートで遊ぶ相手はほとんど大卒者である。日本の大学(四年大学のみ)進学率は、2009年に初めて50パーセントを超え(50.2パーセント)、今でも50パーセントをやや超える水準である。つまり、私の場合、同世代の二人にひとりは非大卒なのだが、プライベートでも仕事でも、非大卒の人間とほとんど接触がない。これは私だけではなく、多くの大卒者に当てはまることではないだろうか。分断社会の怖いところは、このように、社会に共生しているはずの他者の姿が見えなくなることである。その結果、彼らに対する想像力をなくしてしまう。たとえば、非大卒の人間にとって何のメリットもない大学学費無償化論が活発になることはあっても、高卒で就労を選んだ人間に充実したキャリア形成を支援するために公費を投入することは、ほとんど社会的な議論にならない。そして、おそらく支持もされない。世の中は大卒者の思惑で回っているのだ。

 こうした分断をさらに加速させるのが、若年非大卒者の政治への関心の低さである。本書のデータによれば、「政治的関心」(政治のことはやりたい人に任せればよい)、「政治的理解」(政治のことは難しすぎて自分にはとても理解できない)において、若年非大卒層が著しく低いという特徴を示している。一方、若年大卒者の場合は、それほど政治的積極性が低いわけではない。最近よく言われる「若者の政治離れ」は若年非大卒者のみ当てはまる傾向といえるだろう。
 かれら(注 若年非大卒層)は不利な生活条件を背負わされながら、この先の日本社会を長く支えていかなければなりません。しかし、まさに声を挙げるべき状況にあるはずのかれらは、政治のしくみについて十分に理解できておらず、政治を他人事のように考え、選挙にも参加しない状態にあるのです。つまり、現代日本社会は、若年非大卒層を政治的決定から疎外していることになります」(189頁)
 現状の不遇は声を挙げることではじめて可視化するが、彼らの政治意識の低さが非大卒の苦境を覆い隠す。ブルーカラー労働者が多くを占める非大卒者にとって「政治はエリートがやるもの」、「俺たちが何をしても無駄」というように彼らの方でも分断社会を受けれているのかもしれない。また、「最近の若者は元気がない」、「最近の若者は消費をしない」という中年オヤジによる説経くさい若者論も、非大卒の人間のみにあてはまる話であると本書ではデータを根拠に述べる。

 では、この分断を食い止めるためにはどうすればよいのだろうか。ここでいくつか提言を行いたい。私は最初に、学校教育の段階で非大卒が社会的に疎外されている現実を教えるということを思い付いたが、おそらくこれは逆効果だ。ほとんどの人間が「彼らのようにはなりたくない」と思い、大卒資格を取ろうと躍起になるだろう。これでは分断がますます加速するだけだ。むしろ、修正すべきなのは、日本の大卒者中心主義であろう。日本の高校進学率は、1974年に90パーセントを超え、現在では99パーセント強である。よく考えればこれはすごいことではないか。国民のほぼ全てが高等教育を受けていることは世界的に見ても決して当たり前ではない。しかし一方で、高卒資格しかないものを低く見る社会もまた日本ぐらいなものである。日本社会にはびこる大卒者中心主義の考えからまず脱却しなければいけない。私たちは生きていく上で必ずしも学問を修める必要はない。トラック運転手になりたいものが市場経済の流通メカニズムについて該博な知識を持っておく必要はないし、お笑い芸人になりたいものが心理学を勉強をする必要はかならずしもない。著者は、「軽学歴」という言葉で、この分断社会を乗り越えるヒントを提示している。「低学歴」ではない。「軽学歴」である。あえて学問を修めるとは別な道で社会に貢献していく。そのようなライフスタイルがもっと社会に拡がればよい。もちろん、その場合、相応の社会的な尊厳と正当なペイを払うことだ。日本の分断社会を乗り越えるのは、もうその一点にしかないと言ってよいだろう。