297冊目『英語を学べばバカになる』(薬師院仁志 光文社新書) | 図書礼賛!

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死ぬまでに1万冊の書評をめざす。たぶん、無理。



 タイトルは確かに痛快だが、でも、やや言い過ぎではないかと思う。
 ひとまず、著者の立場を簡潔に語っている箇所を引用しておこう。
「英語に呪縛されるあまり、専門的な知識や技能を身につける機会を失い、外国と言えばアメリカしか見えなくなり、言語文化の多様性から取り残され、バカの一つ覚えのように英語を振りかざして周囲から疎まれるようになったというのでは、悲劇だろう」(7頁)
 英語帝国主義が確立していく中では、グローバル化というのは、英語化と同義である。グローバル化を背景としてこれからは多文化共生だ、異文化理解だと唱えても、それは結局、アメリカの文化を学ぶことにしかならないのではないか。実際、私たちが世界について知っていることのほとんどはアメリカのことだろう、国際政治とはいえばアメリカの動向だし、映画といえばハリウッドなのだ。本書は、まあそんな話である。
 本書は、世界の英語化の背景として、アメリカ文化のもつ独特の戦略があるという。米国では、白人、黒人といった人種だったり、貧困層、富裕層といった階級によって、住む場所が違う。したがって、自らのコミュニティの利益を確保していくためには、そうしたヨコの集団との競争が避けられない。訴訟大国に象徴されるように、利益確保のために戦うというのがアメリカのアイデンティティなのである。

 アメリカでは、ヨコの関係の中で自分が周囲よりも強くなることだけが、すなわち発展なのである。勝つためだけの議論なら、自分が有利になりさえすればよい。とすると、相手に自分の母語を使わせれば、これほど強いことはない(114頁)

 いささか陰謀めいた推論だが、ただグローバル化の実態を正確に捉えているといえよう。英語が世界の共通語となる日というのは、異なる国同士の人々が、支障なく意思疎通ができ、平和なコミュニケーションが実現する社会ではなく、英語を母国語とする英語圏の国々が、経済的にも文化的にも圧倒的な有利な立場に座る階級ピラミッド社会である。
 さて、私は総論として本書の主張に異論はないが、いくつか気になったことを挙げると、著者が世界はアメリカだけではないと再三繰り返すのに、著者が持ち出す例はもっぱらフランスであることだ。読みながら、「著者にとって、世界とはフランスのことなのか」と突っ込まざるを得なかった。
 まだ、ある。著者は「英語を学ぶことは、真面目に取り組めば取り組むほど、アメリカ文化や社会の影響を受けることなのである」(141頁)という。私はこれは、それほど自明ではないと思う。どれだけ学習するのか程度にもよると思うが、義務教育、そして受験時における勉強程度では、とても思考や振舞いが無意識的にアメリカ人らしくなるということはありえないだろう。我々は義務教育を始め、受験科目にも英語があるということで、実質上、英語学習を強制され続けてきたわけだが、だからといって、日本人は自己主張が強くなったとか、しきりに相手の発言の根拠を求めるようになったという話は聞かない。したがって、言語を学ぶことが、すなわち文化を摂取するという主張は、過剰反応だろう。