251冊目『ルポ トランプ王国』(金成隆一 岩波書店) | 図書礼賛!

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ルポ トランプ王国――もう一つのアメリカを行く (岩波新書)/岩波書店

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性的マイノリティや特定の宗教、移民への侮蔑的な言葉を投げつけてきた人物が米国大統領になった。そう、共和党候補ドナルド・トランプが、民主党候補ヒラリー・クリントンを破って米国の第45代大統領に就任したのである。振り返ってみれば、トランプが大統領選に出馬するという当初は、「あんな奴が、大統領になれるわけがない」と誰もが思っていたし、数々の差別発言を繰り返す偏狭な思考の持ち主である70歳の老人をただ笑いの対象として見ていた。しかし、結果は大方の識者、メディアの予想とは違って、トランプが勝った。この事実に世界中が驚愕した。どうしてアメリカ人は、あんな人種差別の人間を支持するのか、と誰もが訝った。一般的にトランプ勝利の原因として、リベラル化しすぎた民主党から見捨てられた保守的な民主党支持層(ブルー・ドッグ))の票をトランプが根こそぎもっていたことが挙げられる。しかし、それは、事態の一因であって、本質的な理由ではない。問題の根深さはもっと別なところにある。米国都市部では、民主党候補のヒラリー支持が圧倒的である(ヒラリー60%、トランプ34%、CNN出口調査)。しかし、一方で、都市から遠く離れた米国中央部の田舎では、トランプの人気は絶大だった。一体、これはどうしてなのか。本書は、著者が米国に住む市井の人々を幅広く取材し、彼らがトランプに託す期待を正確に描写したトランプ現象のルポルタージュである。

2012年の大統領選で共和党候補(ミット・ロムニー)が負けた州で、2016年のトランプが勝った州がある。フロリダ、オハイオ、ペンシルベニア、ウィスコンシン、ミシガン、アイオワだ。このうち、フロリダ以外は、ラストベルト(Rust Belt さびついた工業地帯)と呼ばれるエリアに含まれる州である。かつては製造業などで栄えていたが、自由貿易による海外への工場移転などで、製造業が仕事がどんどん無くなったいった。産業を失った街は、活気がなくなり、失業者が増える。誰もが明日食べるパンのために生活するのに必死だ。さびれた街で、貧困におびえながら希望のない生活を送るのみである。ここでは、オハイオ州トランブル群の共和党委員長ランディ・ローの言葉を引いておこう。郷愁と哀愁が入り混じって、痛切な思いが伝わってくる。

私が子どもの頃、ここは何もない人でも、良い給料の仕事を見つけることができる街だった。スキル不要、学歴不要、きちんと働きさえすれば、一人前に稼ぎ、家族を養い、マイホームと自家用車を購入できた。つまり、アメリカン・ドリームを実現できた。だが、その後にこの一帯では、主要産業の衰退、廃業、海外移転、合併など、起きて欲しくないことは何でも起きた。それ(アメリカン・ドリーム)を実現する機会はもうない。若者にはきつい。正直に言えば、私も若ければ、この街を出ている。(22頁)

アメリカン・ドリームはもう過ぎ去ったものになり、生活の不安だけが取り残された。ラストベルトに住む人たちは、多かれ少なかれ、こうした思いを抱いている。本書には、「私は何も大きな要求はしていない。まじめに働けば、普通に暮らせる、以前のアメリカを取り戻して欲しいだけだ」と叫ぶ自動車工場に勤務していた男性の声も紹介されている(本書、122頁)。こうした閉塞した時代状況は、こんな惨めな生活にしたのは誰なのだ、という犯人探しが始まる。ラストベルトの住む人たちにとって、自分たちを苦境に陥れた大きな原因は二つある。メキシコ不法移民と自由貿易である。アメリカ人よりも安い人件費で仕事を請け負う不法入国のメキシコ人は、アメリカ人の仕事を奪うものとして大きな脅威として認識された。確かに不法移民に仕事を奪われたと訴えるトランプ支持者の元建設作業員は多い。そんな彼らにとって、「メキシコに壁を作って、不法入国を阻止する」と力強く訴えるトランプは、魅力的に映るだろう。

自由貿易もまた、ラストベルトの人々は敵視する。自由貿易は、米国にとって何の利益にもならない。いや、利益にならないどころか、米国の製造業がどんどん海外に移転するきっかけを作り、米国経済の停滞を招いた。彼らはそう考えているのだ。彼らが敵視するNAFTA(北米自由貿易協定)は、アメリカ・カナダ・メキシコ間による自由貿易だが、これは、ヒラリーの夫ビル・クリントン時代に発行している。もちろん、ヒラリーも賛成だった。ヒラリーはまた国務長官時代にTPPを推進していたことから、自由貿易推進派だとみなされた。選挙期間中、このことがヒラリーにとって不利に働いたのは間違いのないだろう。結果として、ラストベルトエリアの人々は、ヒラリーよりも自由貿易反対を訴えるトランプを選んだのだ。

さて、このようなトランプ現象をどのように考えればいいのだろうか。本ブログ247冊目『アメリカ政治の壁』(岩波新書)に出てきた言葉でいえば、米国の生活が困窮している市井の人々は、「価値の民主制」よりも「利益の民主制」を選ぶことに躊躇しなくなったということがひとまず言えるだろう。彼らにとって大事なのは、民主党が大事にする性的マイノリティの権利、同棲婚の権利ではなく、「アメリカン・ドリームの復活」ということだからだ。

しかし、彼らのいうアメリカン・ドリームは実現可能なのだろうか。
あまり経済のことは分からないのだが、素人なりに無知の特権を振りかざして考える。私の考えでは、産業は、資本主義発展の段階として第一産業から第二次産業へ、そして第三次産業へと移行する(ペティ・クラークの法則)のだが、先進国と発展途上国でその発展の程度にかなりの幅がある。したがって、必ず製品の生産場所が先進国から途上国へと変遷するプロダクトサイクルが採用される。さらに、産業は、軽工業→重工業→技術集約的製品という形で発展するらしく(これを産業の雁行形態的発展という)、この変遷は不可逆的である。だから、アメリカン・ドリーンというのは、日本の高度成長と同じように、一回だけの限定的な出来事だと考えるべきではないだろうか。つまり、アメリカンドリームは、もはやどうあがいても実現しようにない。期待できない夢に恋々とすることほど哀しいものはない。

もちろん、私はだからといって「現状を受け入れろ」とか「諦めろ」などと言うつもりは毛頭ない。市井の人々にとって、安定した生活をしたいという要求は当然の権利である。他国のことなので、あまり私がなんやかんや言っても意味ないのだが、やはり、処方箋は、アメリカン・ドリームに固執するのではなく、ベーシック・インカムを導入してはどうかと思うのである。もちろんベーシック・インカムでなくてもいいのだが、なんらかの富の再分配政策が必要であると思われる。しかし、社会主義発想を嫌う米国では、ベーシック・インカムの導入は難しいのかもしれない。まあどちらにせよ、実現しないアメリカン・ドリームに期待してトランプ大統領を誕生させてしまった今、米国が今度、どうなるかは見ものである。