249冊目『基本からわかる英語リーディング教本』(薬袋善郎 研究社) | 図書礼賛!

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基本からわかる英語リーディング教本/研究社

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この本は、私が受験生時代に愛用した英語リーディングの参考書である。今まで英語関連の参考書をそれなりたくさんこなしてきたが、薬袋善郎『リーディング教本』がダントツの一位である。私のような無名の人間に太鼓判を捺されても何の得にもならないだろうが、今回はこの『リーディング教本』の魅力を余すところなく伝えたいと思うのだ。『リーディング教本』は、今では『リー教』などと親しみをもって略称され、その界隈では、もはや神本扱いである。著者が「はじめに」のところで、「本書を最後まで『やり通した』方は『英語がきちんと読めるようになる』ことをお約束します」と言っている通り、きちんと最後までやり通せば、相当な英文読解力がつくことを私の方からも保証する。私自身の受験生時代の経験を振り返っても、『リー教』の果たした役割は大きかった。もしこの本がなかければ、私は相も変わらず、知っている英単語を日本語に置き換え、後は脳内パズルをしてそれらしい意味をでっちあげるという、英語な不得手の受験生の典型のような勉強をつづけ、まったく学力が向上しなかっただろう。

英単語をそれなり覚え、英文法もちゃんと復習して身についているはずなのに、英文の意味がなかなか上手くとれないという悩みを打ち明けてくる高校生の英語学習者は多い。そういう生徒は、大概にして英文の構文把握ができていない。つまり、一文における主語、述語、および各修飾語がどの語にかかっていくのかという英文の規則が身についていないため、英文をしっかり読むことができないでいるのだ。本書はFrame of Reference(英語構文の判断枠組み)という薬袋流独自のメソッドを用いて、英語読解の基本を根本から解説している。それぞれの英単語を品詞という概念に還元し、その品詞同士の結びつきのルールを徹底的に解説することで、英文の枠組みを学習者の頭の中に体系的につくりあげていく。このF.o.R(英語構文の判断枠組みの略)をしっかり身に着ければ、いま、自分が読んでいる英文の読み方が正しいのか、間違っているのかが、なんと「自分の頭で」分かるようになるのだ。これは、英語が苦手で勉強に苦しんでいる人間からすれば、驚天動地としか言いようのない世界であり、本書はまさにそうした本なのである。

しかし、学びに王道はない。本書は300頁の本ではあるが、決して簡単な本ではない。ここは私が言葉を費やすよりも、実際に著者の言葉をいくつか引用しておいた方がよさそうだ。

本書は決してやりやすい本ではありません。最後までやり通すのは相当の忍耐力を要します。「読み通す」ではありません。「やり通す」のです。「読み通す」のは大したことはありません。「やり通す」のが大変なのです。

これは「英語はさっと読んで、大体言っていることがわかればそれでいい」という信念を持っている人には全く無縁な世界です。

本書は、たしかにやり通すのはしんどい。私は受験生のとき、しんどい思いをした。しかし、私の場合は、ページが進むにしたがって自分が成長しているのが確実に分かっていたので、しんどいことはしんどいが、必ずこの努力が報われるという確信があったので、辛いながらもなんとか頑張れた。しっかりやりこなせば、ページが進むにしたがって自分の頭の中にF.o.Rの体系がつくられているのが感覚的に分かるようになっているのも、学習を続けていく上で、よいモチベーションになった。

さて、本格的な本書の紹介に入っていこう。本書は、次の三つを大きな特徴としており、この三つの柱が、一般的な参考書の類を比べて圧倒的にハイクオリティであり、抜きんでている。

1.著者による懇切丁寧な解説
2.妥協しない勉強方法の提示
3.英語構文の枠組みが頭の中に出来上がる。



「懇切丁寧な解説」

「解説が詳しい」を売りにする参考書は書店にはたくさんある。当たり前だが、何を言っているのか分からないほど難解な参考書ならだれも買わないからだ。したがって、学習参考書というのは、「分かりやすい」「解説が詳しい」というのが何よりの命なのである。もちろん、『リー教』も解説が分かりやすい参考書のひとつなのだが、『リー教』の場合は、少し他の参考書と性質を異にする。一般的に分かりやすい参考書といえば、会話体の解説だったり、くだけた説明をしたりする。また、赤とか青とか緑とか、色彩を豊かにしてどうにか学習者を印象づける試みも多くの参考書でおこなわれている。現在、ベストセラーになっている『一億人の英文法』(大西泰斗、ポール・マクベイ 東新ブックス)は、まさにそうした「分かりやすい参考書」である。しかし、『リー教』は、そうしたくだけた説明はなく、徹底的に文法用語を使った説明をしている。たしかに一度読んだくらいでは、内容をしっかり理解できないかもしれない。しかし、何度も読み返すうちに、著者の説明が簡潔でこの上ないほどの精度でなされていることに気づくのだ。38題すべての英文の例題において、解説を一切妥協しない姿勢で一貫している。その証拠に『リー教』では、「音読をしていれば、だんだんわかってくる」とか「慣れたら理解できるようになる」といった無責任な説明は一切ない。著者が完璧に腑に落ちるまで理解させてくれるからだ。さらに、『リー教』では、38題すべての英文の箇所で設問があるのだが、本当に大事な設問は、何回も繰り返し出てくる。たとえば、「過去分詞の4つの可能性は?」という設問は、38題の英文を通して全部で10回も設けられている。勉強に基本の反復の作業を読者の努力に丸投げすることなく、著者の方でも妥協しないで理解させる姿勢に感銘すら受ける。また、解説の際に「活用の重要性の一端がおわかりいただけたでしょうか」というような読者に問いかけてくる文もあり、まるで著者が家庭教師として目の前にいるかのようであり、独学で勉強している人にとっては、とても心強いものがあるだろう。

「妥協しない勉強法」

本書は、英語構文のメカニズムを伝授するというだけでなく、勉強のあり方をも教えてくれる本である。著者が、本書の「はじめに」でこの参考書で勉強するのは「忍耐力を要す」と述べていた。では、著者の言う「忍耐力」とは何か。簡潔にいえば、徹底的に文法事項の暗記を強いられるということだ。本書は、練習問題として全部で38題の英文があるが、その和訳だけを問うのではなく、使われている語句ごとに設問が用意されている。たとえば、「madeは何形か?」という具合にだ。それに対して「過去分詞形」を答えた場合、今度は、「過去分詞の4つの可能性は?」というふうにさらに設問がある。それに対して、「受身・完了・過去分詞形容詞用法・分詞構文」と答えなければならない。そうした設問のひとつひとつを暗記しなければならない。しかも、それを一字一句違わず、即答で答えなければならないのだ。さきほどの例でいうと、「完了・受身・過去分詞形容詞用法・分詞構文」と答えてはダメなのだ(順番が違うから)。おそらく、大方の人は、「別に順番が違っても、内容があたっていたらいいだろ」と思ってしまいそうだが、著者は、それを許さない。「テニオハに至るまで全く同じように」言えるようにならないと、『リー教』では合格点をもらえない。他にも「ing形の4つの可能性は?」に対して、「進行形・動名詞・現在分詞形容詞用法・分詞構文」と暗記して答えられるようにし、「不定詞の4つの可能性は?」に対して、「助動詞の一部+述語動詞・不定詞名使用法・不定詞形容詞用法・不定詞副詞用法」と答えられるようにしなければならない。もちろん、即答でだ。『リー教』では、こうした構文力に必要な文法の設問が全部で50個あるのだが、この答えを丸暗記しなければならないのだ。しかも一字一句違わず即答できるレベルにまでに仕上げなけれならない。これは相当な忍耐力を必要とするだろう。私が面白いと思ったのは、著者が、「設問の答えが理解できなかったとしても、答えをそのまま丸暗記しろ」と教えているところだ。こうした教え方は、少なくとも現代では否定的に見られるだろう。昨今は、とにもかくにも丸暗記は毛嫌いされる。「大事なのは、暗記力ではなく思考力なのだ」となどと言って、できるだけ暗記をしないですませようとしている。しかし、評論家の呉智英のように「教育に、ゆとりものびのびもありはしない。(略)教育はつめこみ以外の何ものでもない。型を押しつける以外に教育があろうはずがない」(『健全なる精神』双葉社、80頁)という人もいる。数学者の藤原正彦あたりも、そういう考えの持ち主だろう。私も基本的にはこの考え方には賛成だ。独創性や異色のアイデアというのは、圧倒的な知識から生まれてくるのだ。知識なくして思考などできない。西洋史の教養もない人間に「ルネサンスについて論じよ」などと注文をつけても、傾聴に値する意見なんて出てくるわけがない。そもそもやみくもに暗記するというのは、そんなにいけないことなのだろうか。江戸時代の寺子屋教育にしても、子供たちは『論語』をひたらすやみくもに暗唱していた。『論語』を読んでみると分かるが、なかなか難解である。あんなものを、今でいう小学校低学年あたりの子供が理解できるわけないのだ。寺子屋教育においては、子供は『論語』の意味なんて全く考えず、その独特の漢文調のリズムを体に染み込ませ、暗記していったのである。そして、いつか大人になったときに、具体的な経験する様々な社会体験を通して、幼少時に記憶した論語の内容が「ああ、あれはこういうことを言っていたのか」と事後的に分かるようになる。そういう意味では、寺子屋の教育は、「形式に知識が供給される」(前田愛『近代読者の成立』)教育だったのである。これが、本当の意味で「分かる」という体験ではないだろうか。ひとまず、『リー教』でも、「ともかく暗記する」ことが重要な勉強方法の軸になっている。怠惰な学習者におもねって、学習方針のレベルを下げたりしない。徹底的に妥協しない勉強方針で本書は貫かれてるのだ。

「英語構文の枠組みが頭の中に出来上がる」

私が、本書を勉強し始めたとき、一番感動を覚えたのは、次のような解説だった。「現在形と過去形は必ず述語動詞である」(5頁)。英文読解の上で、とてつもなく重要なことなのに、今まで勉強してきたどの参考書にもこんな説明がなかった。だいたい述語動詞という用語からして、『リー教』を学習するまでは聞いたこともなかった。さらに「裸のing、裸のp.pは必ず準動詞である」という説明で、おお、そうなのか、と思わず唸ってしまったのだ。述語動詞と準動詞の識別は英文を読む上での根幹の部分であり、もしこの識別をいい加減に扱うなら和訳問題では零点を覚悟しなければならないほどである。大学受験の和訳問題は、英単語の意味が当たっているから正解、だいたい言っていることが分かるから正解などという生易しいものではない。個人的には、この述語動詞と準動詞の区別のノウハウを学べたことがものすごく学習効率を高めてくれたという点でありがたかった。もし『リー教』にトライして途中で挫折してしまいそうになったとしても、せめて述語動詞と準動詞の区別だけはしっかり理解しておいた方がいい。これを理解するだけでも全然、英文の理解度が違う。

さて、上記の説明を読んで、「あ、自分には合わない」と思う人も多いだろう。特に今の中学生・高校生ぐらいには猛烈な拒否反応を引き起こす可能性がある。実際、私も授業でこういうふうに教えているかといえば、教えていない。だって授業中にひたすら「過去分詞の4つの可能性は?」と生徒に問いかけ、生徒が「受身・完了・過去分詞形容詞用法・分詞構文」と即答で暗記ができるようになるまで繰り返すなどというスタイルの授業をしていると、そのうち「いい加減、英語の授業をやってください」と不満の声が続出するだろう。そういう意味では、本書はこういう勉強に合った人だけが独学でやるしかなさそうだ。しかし、何度もいうように本書の著者の指摘をそのまま素直に受け入れ、徹底的に覚えるべきものは暗記し、忍耐強く本書をやり遂げたら、たしかなリーディングスキルが身についていることは請け負いである。