仏教の神が良いのではなく、教えが基本となる | 『真理と道理・人と神』

『真理と道理・人と神』

あの世とこの世のことから人の心や魂や家系の先祖、そこからの道理と常識の大切さを書いています
また先祖や神からの気付きや言いたいこと乗せてます

国家を作る時に
キリスト
神道
仏教
どれを元にすると一番良いかというと、仏教である。

キリストは潔癖すぎて、柔軟性にかけ、物事を最後までその結果を見る間でもなく正悪を切り出す。

神道は主に見えない存在に内容が偏りすぎて人の私生活への説明が曖昧である。
神社で手を合わせていればいい、神様を常に心にもって、という風に。
昔の時代は本当に自分のした事が目に見える程何らかの形で返って来る事が多く、この意味を人々はよくわかっていた。
しかし、今は便利な世の中と口が立てば勝つ仕組みができて、認識しずらいが為に、神道が社会に合わない。

そこで人として生きる心の持ちようというのを細かく諭してくれているのが仏教なのだ。
神を拝むと言うことを言っているのではない。
神を拝む人は私生活がきちんとできた人から。
私生活もままならんのに、先祖供養や神を祀るなどはできない。
だから仏教の教えを聞いて日常生活で、衣食住を整えて身体の循環を保ち、ストレスの発散になる事をしてよりよい生活をする、ということについては、仏教の内容がよいのだ。

 
国家などというものは、仏教でくくる、神道でくくる、などできはしない。
そんなもの、過去の天皇家が散々失敗しているだろう。
あれは、事の真理を知らんがためにそんな争いをした。