偉い人にはならんのかい!ってゆう結果 | 『真理と道理・人と神』

『真理と道理・人と神』

あの世とこの世のことから人の心や魂や家系の先祖、そこからの道理と常識の大切さを書いています
また先祖や神からの気付きや言いたいこと乗せてます

事件が起こってから、焦ったり迷ったり考えたりってことをやっても解決せんのを知っているから、なーーーーーんもせんと堪えて他人にも働きかけずに何年もおった時がある。

 
まあ、動けなかった、と言った方が正解か。
 
 
 
焦ったり迷ったり考えたりしてこんと、混乱の現状に浸かっておった期間が長すぎて、心を作る時期に心をちゃんと作れてないけん、人の気持ちがわからんと先祖に言われた。
 

  
『魂と頭だけ』


魂→心→欲や理屈
ってゆう作りらしいがやけど、心ができてないと極端な判断しかせんがやと。

 
なやしがないってゆうがやろうかね。
 
 
魂→神性という神の部分
心→人である部分
頭→人間の部分


でもあるらしいわ。


で、人間であることと、人であることは、全然違うと神様はゆう。
 

 
心を作るなら、悩んだり焦ったり不安になったらええんじゃろ?というて、それをやってきたがやけど、適応障害になって終わった。

 
 
悩んだり焦ったり不安になる状態は『人間』であり『そこまで落とされん!!』と言われた


 
じゃあ、やめたらええやん、ってゆうてやめたら『神』の状態であり『強すぎる!人には強すぎる』と苦情がくる。
 

 
神であることを人にそのまま出したら、人には強すぎるけんいかん
やけん神でもない、人間でもない、『人として歩んでください』それが『神の大元の願い』『お願い』『助けて』と散々言われてきた。


 
人として人と生きてくれと、ずーと言われた。
 

 
じゃあ、人ってどんな意識のもんなが??というところでまた足が止まるやんか。


 
どの意識状態が『人』の状態ながかが、わからんくて
めっちゃ何年も迷うた。
ああでもないこうでもない、あそこか、ここか、あの常識を身に着けたら人の部分が発揮されるがか
 

 
ってか神ってなによ、神ってなによ
こっちは普通やし
何が違うんよ
落としすぎって人間になったら違うんかい
『普通にしてください』『人を甘やかさないで』『普通に持っていって』
とも言われて。


 
人の意識を読んでその人に合わさないでくれと言われたわ。
普通に接しろと、ずーと言われた。
人の意識が普通より落ちているから、普通に持っていくことが世直しというものじゃと先祖はゆう。
 
 

しかし、じゃその普通ってなんぞ!?って思う


うちの普通は人が眼中に入らん無視状態になるけん、それじゃあないがやろ??と
  


 
めっちゃ難しい事を言われよるで
現状が変なかったがと
普通に暮らしてなかったがと
普通の経験不足から、意味のわからんところで9年ぐらい費やしたね。
 

 
霊的なもんはいくら関われど格が高いけん普通の状態が学べんし。


 
魂ではなく、人間ではなく、人であること!ってゆうことの難しさといったら。


人間でもいかんというし、人間は獣と変わらんというわ。


良心がないがやろうね。

 
 
自由になる日がないね。
魂の状態なら悩む事がないがって、その代わり現状は悩まん変わりに厳しい現実がくるで。代償として。ずーと年がら年中厄年みたいな人生よ。
何があっても『へっちゃら〜☆』になるけん、問題の解決もせんしね。逆にゆうと動かんなるわ。なんちゃー思うてないけん。
やけん神様の生まれ変わりはこの意識のせいで、かなり一般的よりも困難の度合いが高いはずで。
 

 
じゃあ、人間の意識となると、くる現実は大した事がないがやけど、利己的で足りんものに目が行って、常に軽く渇望しよる状態で、自分の欲を中心に回るけん、人の立場を読まんなるわ。
これはこれで人から嫌がられて軽く全体的に不幸ながやけどね。衝撃はないけんやっていけるがって。


なんちゃー思うてない魂の自分の時に負荷をかけておると、人間の頭になった時にめちゃくちゃその現状に騒ぐ。
耐久性が違うけんね。大騒ぎになるわえ。
 

 
人になったら、安定した時間と試練の時間がきちんと分かれるね。
整理されて起こるべき時に起こるというもんやろうか。
きちんと厄年とそうじゃない時の時間が分けられてくるね。
やけん幸せな時間があるというこっちゃ。
 

 
 
やけん感覚って誰しもコロッと変わるし、意図的に変えれるもんながやろうと思うたら
それは病気になったら変わるもんであって、普通変わらんらしいね。
大抵一定しちょるらしいわ。いや、わからんけど。
それが大人というやつか??


 
問題が起きて悩みよって、疲れたらその感覚やめたらええやんって思うがやけど


『きちんと悩んで考えて人としての道を歩いてください
それが後から生まれてくる者の歩ける道になる』と『王道』を行きよるがやけん『ちゃんとしてください』と言われるわ。


 
道がない所を歩きよるがやけん、先が見えんがは当たり前、でもちゃんと人として生きんといかんと先祖に言われるわ。
 

 
普通霊が見えたら、自分が神様になる道に行くのか?または神様になるのか?または神様から偉大な力を授けてもらえるのか?と思うけど
 

 
逆行して人になれ!と言われよるけんね。


意地でも現実をその内面で歩けと。


魂の意識に戻るなと。


偉い人になるんやないんかーーーい!という現実やった。

  
霊が見えることで逆に地獄。
フリーの状態から制限がかけられるがやけん。
 


 
宗教では神になる道とか、神の子になる道とか言いよるに。