世の中には神道派と仏教派があって
祠一つでも、仏教の人が仏教の観念で何かを閉じ込めておるのか
もしくは小さな社一つでも、神道の人が神道の観念で見えた物を祀っているのかで
そこの意味のワケは違ってくる。
例えば神道の話し、アマテラス系とかスサノウ系の分派の神様が沢山おる。
これは大まかな2つの霊の種類があって、遺伝子みたいに、そこの流れから現れるものである。
神様というのは、上の神様より分霊した神様、その神様より分霊した神様、もしくは眷属神からなる。
つまり、血筋みたいに系統があるということじゃ。
これは神道の話し。
神道を感受した人の汲み取った霊界の話しやろう。
実際は外れてない。
たまたま先祖の先祖の先祖を辿って行きよったら神様というものに辿りついた。
先祖を守りよる神様、その神様を守りよる神様、というのがあの世でもある。
次元をまたがんといかんけどね。
どうも、私にも見せてもらえん神様がおるらしくって、メッチャ神々しい神様に会いたい!ってゆうたら、『それを見たらお前が立ち上がれんなる』けんいかんと言われた。
そんなに神々しいもんがおるがか!と思うたけど。
ピーカーーー!と光ってもの凄い圧力と、壮大さと気高さに満ち溢れた、自分の存在がおこがましいと思える程の存在に会いたいというたら、ダメ言われた(笑)
どれ程の上がまだあるがやろうね。
パッと祠や社を見た時に神道系か仏教系か見れたら凄いもんやな〜と思う。
なんやろ
霊派にも種類と流れがあって
仏教と神道では神力といいますか、霊力の種類が違う。
どちらが上であるとかとゆうよりも、力の種類が違うんじゃ。
使う霊質に違いがある。