去年を反省する | 『真理と道理・人と神』

『真理と道理・人と神』

あの世とこの世のことから人の心や魂や家系の先祖、そこからの道理と常識の大切さを書いています
また先祖や神からの気付きや言いたいこと乗せてます

去年を省みて、物凄い損をした1年やったなと思うて、来年は自分の行動を変えろうと思うた。

 
先祖の連れてきた子に、物の価値がわからん奴に物をやるもんやないって言われたけど

はい、、まことにその通りです、と15も離れた子に教えられた。
 
 
痛感する事があって
ガックリきている。
 
  
 
先祖が見え出して、世界の事を話し出して、結局マルっと助けれたらええがやろ、と思いよったら


その考えはおかしい
その考えはダメ
あんたは甘い
あんたは全然わかってない
 

と、散々言われて、散々な目におうて

 
こんな事がある!?ってゆう体験して
まあ、なんてゆうか


こりゃあ、この世で全部救えって無理じゃろ、と思うた。
 
 
次元が違う。
 
 
 
ハッキリゆうてわかったがは
この今まで書いた内容が、まったくもって文字にも見えん人もおるという事がわかった。

 
ということは、ある一定の領域内におる事が条件ながやなと思うて
 

例えば
人の不幸を自分の身において想像して言葉が喋れん人ってゆうのは論外や。


自分の身におくということも、頭を使わんといかんし、情緒も動かさんといかんことで、何かと人の身になるには、脳の使い方や心の動き方ってゆうのがいる。


これを人生の経験で普通にできるように人はなるがやけど
 

想像ができない、もしくは想像しなけらばならない事がわからない、人がどんな状態であるかを考えもしないってゆう人間は、いろいろと無理がある。


これって人生で苦労なく幸せにしてきた人ながやけど
こんな頭の人は他人から見てどのような対応をされるかと現実を見れば、幸せに生きた事は幸せになれる道やろうかね?と疑問に思う。
 
 
これは人の身になるってことは、誰しも恋愛で楽しく身につけていく作法ながやけどね。
 
 
子供なら親の顔色を見るってことから学習するがやないろうかね。
 
 
道理道徳常識真理ってものを先祖から教わった時に、言葉で習ったものはない。
全部感覚で習うてきた。
想像するってゆう感覚を実体験で体験してきたがやけど。

 
霊感ってものは、想像したものに感覚がつくことでね。
例えば頭で想像した映像にフワッとした感覚や、重い感覚、滑らかさ、ガサガサ感、いろいろと感覚でわかる更なる感覚ってゆうものがある。


感覚のあるものは実際当たる。意味の含まれたイメージやけん。

 
意味があるということは、因縁や霊力が乗っているということ。
 

 
 
あんまり感じてきたことがなかったけど
人としてという事を基準にして人を見てきたらしいね。


それを外れる者は、救う必要がないと先祖はゆう。


でも、それを外してない者は、どんな状況にあったとしても助けると。
 

 
結局思いやりって良心が凄い今後を決めるがやろうね。

 
次元が違うって、
人でおるのか、人間でおるのか、獣類の頭でおるのかの違いで
動物みたいな頭の感覚では、無理があるといいよったわ。
 
   
 
例えば
彼氏がメッチャ高い物をくれるから高い物で返さないかんってことではないろう
気持ちを返したら相手はずーっと仲良くしてくれると思うで


やけど、お金を出されたら出されっぱなし
物をもらったらもらいっぱなし
与える一方で言葉一つ、気持ちすら返さない、おごられる事が普通とか、常識とか、この人は人におごりたい人だからさせていればいいとか、そんな事になったら


続かんよねって思う。


彼氏彼女じゃなくてもよ。