多様性 | 『真理と道理・人と神』

『真理と道理・人と神』

あの世とこの世のことから人の心や魂や家系の先祖、そこからの道理と常識の大切さを書いています
また先祖や神からの気付きや言いたいこと乗せてます

うーん。


スピリチュアルの流行りと多さと、心理カウンセラーの流行り具合を見よったら


多分日本て、今の時代多様化なのに、多様化っていうのを受け入れられんのじゃないかね。


一昔遅れているんじゃないか?


まーしかし、だからといって昔からの文化を蔑ろにするのとは違うがな。



公務員が将来安泰とか、それが悪いわけではないけど、それしかないんだ!というなんの観念かわからんのは、今の時代子供らはついていけんかもしれんね。


一昔前はそれでよかったがやけど


もっと今は個人の能力に合ったモノを進んでいっても危なくない時代やと思うで。


田舎では高校いけんかった子らは土木につくことが目立つけど、それでも一日9000円はもらうけんね。
介護一日しても6000円やに、結構もらえるし、きちんと金を溜めることを覚えたら将来は普通より困らんろう


世間のいうこれじゃないと!という社会に合わせた自分でいったら、嫌になったときが困るわえ。


好きなことをするために嫌な目にあい乗り越えるのと
そこまでじゃないことで嫌な目におうた時というのは、後々が違うけんね。


うちのいとこは美容師になるのに、長い期間いろんな事があったみたいなけど、好きで選んだ道を何があってもきちんとやって、自分の店を持てちょるけん凄いと思うね。



よく日本人は言うね
よくそんな先のないことをしても生きていけんとか
仕事があるかわからないとか
将来に困るかもとか
そんなもんになってどうするのかとか
そんな恥ずかしいような事をしてとか


でも、やっぱり人ってもんは、能力が違うわけなのだから、世間に合わすより能力に合わす方がええ


その能力は自覚できるもんもあるし、人から見て気づくもんもあるし
そうやって世間世間というより多様化をしていかんと、一昔前の概念と時代が合わんがに誰もついていけんなるわ。



鎖国というのは一昔前のこの概念のことではないけんね。
鎖国というのはお国は御國ということやけん。



国と國は違う。
國というのはきちんとした原型の國をいう
昔でいうたらきちんと国を統治できていた江戸の頃とでもいおうか。


その國であることは、自然と鎖国になってしまうのよ
外国との交流は円滑であってもね。
ワレは我、やけんね。


やけん強いわね。


これを崩す動きが明治の坂本龍馬の黒船来航やったがやろう
やけん急いで天皇家に権力を戻した。
武将に渡していては、我で突っぱねて攻撃してから国をなくしかねんかったからな。
国を守る行動をしたつもりが、国をなくすことになるのがあの時やったがよ。



やけど、あの頃天皇家に返したはずの明治維新の動きは、今意味がないこととなっていると言う。


さて、あくまで天皇家に権力をもたした上での政治の決め事でなければ、確実に戦争は勃発するろう。


あの頃のように武力で力を振るわせてはいかん。
自分の身は自分で守る武力は持ったとしても、無駄な動きは今の時代、坂本龍馬がやったことを水の泡にする事態を招くことやろう。


それを自覚しておらんとな。



軍事力とは、国のために外国へいくだろうが


武力とは守るために使うものよ


刀と鉄砲では機能性は鉄砲の方があるが、使う意味合いは誠に違いがある。


利益優先か、守護優先かの違いよね。



面倒な時代である。



やけん明治維新は意味がなかったと怒っちょる。
このままではいかんけん、今からの数年が勝負時やね。