感覚を教えてもらうのよ | 『真理と道理・人と神』

『真理と道理・人と神』

あの世とこの世のことから人の心や魂や家系の先祖、そこからの道理と常識の大切さを書いています
また先祖や神からの気付きや言いたいこと乗せてます

人と関わるって大事でね


まあ、価値観とかも大事ながやろうけど


その人の持つ感覚って大事思う


人それぞれ感覚が違うがよね



人を受け入れる器のでかさは、論理的思考と知識ではなく、その経験から人生とはこういうものであるという感覚があるために導き出された思考であり身に付いた知識であるのよ。


それと同様、自分の好きなことで楽しむ事ができるというその人の感覚

天性の感性も強いがやけど、人生を通して仕方ない事もあるけん悩むより好きなことや楽しい事はやっちょらないかんという全体性からくる、楽しむは


若い子の楽しむとはちょっと質が違う。




なるようにしかならない、だからこういうもんであるし、こうおるしかないし、結局こうおればええという答えからおる人って腹の底が揺るがんしどっしりしちょるし、何かに縛られ過ぎる事もないし、言いたいことは言うけど人の事も聞くし、自分が自由におれる部分はもっちょるし、人をほおっておるけど困りよったら関わるという自分に無理ないバランスがある、やけん一定感がある


社長や子供おる人とか今に充実しちょる人とかによくみられる


でも大概逃げれん困難に向き合わんとならんかったという大変な思いをした経験があることが共通する。


うちはようせんなあ(   ̄ー ̄)
うち、そんな人に基礎部分育てられた
やけん基本自由にアホに生きてこられたっていうのもある
でも真逆になっておるの無理
やけん知れん事いっぱいある
やけん仕方ないけんそんな人らを眺めて人生こういうもんなんかな~~って思いながら、フワフワしよる。



その人の存在の腹のあり方に信頼する
あり方は生き方でもあるし、それが無意識にでも人の為になりよることがこっちには見える



これだけはスピリチュアルで学んで行き先を示されて悟るより、どうにもならんことから悟るしかなかった方が実力があるがよ。
悟りの窮地は高いもんを取ろうが、実力者には内面の質とその創造からの生き方ではかなわん。
それに教科書を見て進むよりも、自分の自由な意志で生きるけんとても個性があり価値がある


やけん宗教とかスピリチュアルとか知らずにそうあるものは何よりも美しい。



やけん知識とかより、感覚を学んだ方が自分の答えになるがやないかと思う
こういうときにはこうするという知識、が、あったとしても、それにて結果が良好にならん場合が出た時にはどうするか、という部分で


その感覚は助けると思う。