わからんけど。 | 『真理と道理・人と神』

『真理と道理・人と神』

あの世とこの世のことから人の心や魂や家系の先祖、そこからの道理と常識の大切さを書いています
また先祖や神からの気付きや言いたいこと乗せてます

内在神『カンナガラを書けばいいのよ』
本心『甘えの説法』


これを言われたもんの、ようにわからんがよねー(´・ω・`)わからんてあんまり言わんけど、わからん。


カンナガラって日本でいう道徳のことながよね。
労り、思い遣り、親切、やと言われる。


本音、綺麗事いってんじゃねーよって思う
けど、本心、本当はこれだけで生きていける



人を労り思い遣り親切にしちょったらね、その時は返ってこんけど、災難や不幸や困難が来たときに、手も足もできんとき


手も足も出さんでも、なんとかなるように持っていかれる。



幻滅するね
絶望の淵に
やけど、そんな時には必ずピョイと救われるがよ。
思わぬ想定外の奇跡が起こる
そうくるか!っていうね。
それは思いつかなんだわーって(笑)



何かが来ることを想定して計算尽くしで利益の損得だけで身を固めるな。



不幸が起きる
困ることが起きる
だからお金を溜める
だから今人から搾取しておく


私に言わせれば
だから未来で不幸が起きる。


金を溜めるのではなく、徳を溜めよ。



日々にガツガツしたらいかん
たまには損もせないかん
見返りなくてもたまには手を出してやったらええ


そうやってラフに生きて、困ったときにはラフに困れ


そしたらラフに助けちゃる。






うちらが年取って年金もらえんかもしれんけんかけるのは無駄やとしても
じゃあ、年金にかわる何かが作られると思わないかん
今の仕組みで行くなら、貰えんなることもある
やけど経済は一定せんし、今日の日々が明日同じくあるわけでもない
災害が起きたようにね。
やけん必ず変わる。
困らんことが起きると思わないかんし、指くわえて、ある状況に生かされるだけもいかん。
やれることには意志をもって考えることをせんと。


政界に若者が入れば古株に叩かれて新鮮な意見は落とされるろうよ
やけど、この先いやでも代替わりは起こる。
社会はその時代に適応された形へなっていくさ。
前向きにやったことはどんな形であろうが芽を出す。
出すか出さんかは神様次第。
やけど私らはいつでもしつこいほどに神様に書類を提出し続ける
判子押して!って (๑•̀ㅁ•́๑)✧芽を出させるために。
じゃないと、自分はいつ死ぬかわからんけど、後に生まれた者が困るよー。
社会を社会をっていうけど、なんの為に社会をよりよくする事を望むのかといえば、最終的に子孫の為やろう
社会なんてもんは、うちらが死ぬ頃にしか変わらんろうからさ。



うち、神様=経済=政界やと思う
けど誰も神様を経済と結びつけんやんね
政界には宗教党があるけどよ


大昔日本の国ができたのは神道の道で成り立ったがよ。
やけん国=神なら神=経済と関連しておるよ。
それと科学にもね
なぜ、それを別々に分けるのかと思う。
人格神が一番経済の事は知っておるよ。


経済と神と国と世界を別に見ること、することはできん。



やけん運というものは、個人から、国、国から世界へ関連しておるもんやけん
運は人生と日常生活に由来せにゃいかん。

 
 
霊性というのがある
宗教の修行僧は霊格となる霊性を高めよる
『霊格が高いと人が12年、6年かかるところを2年で終わる』という言葉を聞いた事がある


真理を聞いてもどれ程の理解をするかは、本人の霊格による
これは道徳についても何処まで本人が普通に行えるかが現れてくる
瞑想などというものも、これを高めるためよ
やけど、瞑想するより、この社会で鍛えられた方がなんぼが成長には早い
仕事って修行やけんね。


霊性が高ければ勘がええ
その分比例して高い徳を持つ
まあ、その分役目も大きいだろうがな。


霊格が高いからと霊能力があるものではない
霊性が低くても霊能力を持つことは可能である
その場合、何に感応するかが違うだけよ。



まあ、ボランティアって徳を積むにはええことよ
悟るにも人に何か施すにも、必ず自分の経済状況や環境に多少は余裕があらないかん
自分にはないのに、人に与えるというのは、流行らんなあ。