天道とアホ | 『真理と道理・人と神』

『真理と道理・人と神』

あの世とこの世のことから人の心や魂や家系の先祖、そこからの道理と常識の大切さを書いています
また先祖や神からの気付きや言いたいこと乗せてます

アホになることが『天道』やと言われてきた


その、アホにということが、どういうことか、考えれば考えるほど混乱してパニクったという(°▽°)話よ


何事も軽く受け流すということながやってね
深刻にならないっていうね


深く深く深く深く考えることでいろんな事を気付いてきて、突然考えるなと言われたら、意味がわからんというね
200㌔の速度を出した車にキューブレーキかけたら、どっか傷むわな。


でも軽く受け流すと忘れるがよね
それに注意されたことも受け流す、常識も受け流す、礼儀も受け流す、ルールも受け流す事になったら、生きていけんやんって思うたがやけど


それとこれとはまた話が別ながやってね(  ̄▽ ̄)



『程々に』という事やと



姑の小言も
子供のわがままも
親の期待も
自分の欲も
上司の説教も
部下の愚痴も
夫の不満も
嫁の怠慢も



 サラット左から右に『流しなさい』ってことながやってさ


それ、聞いてないって思われて相手腹立つでって言うたら『それが神経質』やけん『やめなさい』と言われたσ(^_^;)


『クソ真面目』はやめなさいと。


結局こういうことながやろうね。


 
幸せとはどこにあるがやろうと言えば、結局金をもっていろいろ手にしてもいずれ飽きるがよね
年取るまでいろんなもんを買いあさって、死が見えてきた時に人間というものは物ではないと気付き始めるわ。


 
幸せって、物質に恵まれているということではなくて、
悩みがないことながよな。



足が悪い、腰が悪い、頭が悪い、日が悪い、明日が悪い、明後日が悪い、未来が悪い、将来が悪い


ん~~~
これに対して治ったらとか、そういう完全な結果や状態を求めんでも、忘れちょったらその瞬間は不幸やないで。


目の前で車のボンネットにおいちょった財布を猿に取られてみいや。
足と腰と頭が悪いこと忘れて叫ぶかアッポになるかするで。


山道を通りよって隣の谷を挟んで猪が同じ方向に走りよってみい。
一瞬でもアッポになって痛いとか忘れるで。 

 

足が悪いというても、おせち料理を真剣に噛んで食べて飲み込みよる時には足が悪いと思うてないけんね


飲み込み終わって一息ついたら、足が痛かったのを思い出して気になりだすがやけん


もし食いながら足が痛いと言いよるもんなら、隣におる家族に食うか喋るかどっちかにしろ!って言われて黙って食うことをとるがやけん


そういうもんで。



爆笑したら悩みと心配飛ぶけんね
大笑いすること大事よ
身体の酸化を遅らせるがやと
悔しいときも悲しい時も辛い時も、意地で笑顔作ってよお



以外と本当に笑える日がその意地が少し先の未来で帰ってくるがよね(^_^)


心配と悩みは毒素を作るけん老化が早まるで


かというて年相応の振る舞いに欠けておると頭がおかしいと言われるのがこの世界よ、って考えるのが神経質よ。
ここまで思考せんでも、必要な時には年相応におるし、必要ないときにはアホにおるけんその時の流れに任せろと先祖は言うね。
『考えるな』と。
  
 

結局気の流れの話よね、こんな内容も。



頭の中に川を思い描いて、いやなことを水に流すイメージをして、あたかも頭の中から嫌なことが退いたように、思う。
これ、大事。


たまった念は邪気となり肩凝り腰痛、五十肩、内蔵の炎症、ホルモンの崩れ、リンパの腫れ


最後には癌に集結するろうなあ。


やけんストレス解消大事


それが、悩まないということで


それをするのが、受け流す。ということになる。


『勘で生きて勘で動いたらいいのよ』やとよ。


何かを始める時には
『苦労は水に流せ』
やとよ。


 
結局ね
何がしたいかというたら
健康に長寿で生きる為の話よね
そこにまだガードレールを張ろうとしよるけんね。
人の魂が地獄に落ちたら、上げるに上がらんけん始めから上におってほしいもんよ