何が神界だったのか | 『真理と道理・人と神』

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あの世とこの世のことから人の心や魂や家系の先祖、そこからの道理と常識の大切さを書いています
また先祖や神からの気付きや言いたいこと乗せてます

なぜうちは、神様と話すがやろうと思いよって聞いてみた


というてもここ一年喋れなくなってね
幽界におるから

前の話しながやけど


『意識が人間じゃあないからよ』


と言われたわ。



意識が人間じゃない。
ことの方が、うちは現実をリアルに感じてそれが自分の本当でもあるかやけど

それは生きる行動によって意識を覚醒させておる事になるがやけど


それってなんやっけ?って思うたら



欲がないことやわ。




欲ってもんは、手に入ってないから出る、もんながよ




やけど、うちの欲は人を大事にするというのが本心で、それを我も出んほどに日々人だけを思うて行動しよったわえ


それがそもそも人間の意識ではなかったと言うがよ





親の意識は子を思うと、自分は人間ではなく、物として生きろうともする
自分の欲はさておき、子供がしっかりするために考え、行動し、時に叩き時に褒め、時に信じ時に裏切る

それが理性を持ってできるのは既に人間じゃあないがよね



親やち欲があるわえ
子供は自分が寂しいけん作る、人生で一人にならんために可愛がって育てるというようなもんよ



誰が立派に子供を育てろうという根拠で始まるよ。
愛の結晶として普通に欲しいということがあってもよ
その後の生活の中での生まれる心よ






やけん、欲は求めるモノではなく、欲が出る元の心を実践したなら、欲は欲とならず良心になるということよ。



その元の心に気付けるかどうかという話で。






あれがないこれがないとナイナイじゃなくて、それを手にして得られる安心や満足は、何も人や物を直接手にせんでも、なくても直ぐにできる行動で今にも自分を黙らせることができるということよ




何が言いたいかというと


何かを得ることで叶えるのではなく


その本心を出して行動にすることで、何も物質で得んでも欲をもたんなるってこと


暇やけん欲が出るがよ。
後先もないほど忠実に動いたら欲を出す暇なんぞないわ