このブログは人の道を書くところ | 『真理と道理・人と神』

『真理と道理・人と神』

あの世とこの世のことから人の心や魂や家系の先祖、そこからの道理と常識の大切さを書いています
また先祖や神からの気付きや言いたいこと乗せてます

このブログのタイトルに真理と道理・人と神ってつけちょるがよ( ・∇・)



お堅い題名やねー



でもねー
人の道って大事ながでー



神様ってもんを探して出会うには、人道を越えて生きよったら出会う




それは自分の健康にも繋がることながよ。




人道というのはそのまんま人の生きる道よ




でもね
これを外すと、災害、病、事故、困難、トラブル、という不幸が起きるがね~



金も手に入らんし、子は死んでいくし、財産は取られるし、挙げ句健康も取られる。





人間の本質は霊ながよ。



やけん人類は霊長類と言われるわ




人間の本質は霊というのは、もっと噛み砕いていうたら
この身体が私自身です、というのではなく、この身体を私だと認識しているその意識そのものが、本当の自身ですと言う意味ながね。


意識がなかったらよお
この身体が自分とか、この声が自分ってわからんやん。



意識はよお
脳とは違うがよ


脳は外部の情報を痛いという痛覚、味覚、嗅覚、視覚として認識して、意識はその脳が思うた五感を一つにまとめて統合するものながね




あ、心の話に切り替えたら神道の話やけど
我らの心は六人の神で構築されとる
その中の一人が五人を統合する一人よ
四魂とはまたもう1つ上の次元の仕組み
ドラゴンボール神と神をみたら、よくわかるわ



で、話はもんて




その意識とは、霊であり、物質ではないわけよ
で、死があるのは、物質だけ。


つまり身体は朽ちる。



やけど、意識は残る。



早い話が肉体寝ても夢は見るろう
夢をみよるソレが自分よ
で、夢をみよる場所はあの世よ
やけん死ぬとはまさに夢をみよる状態と同じ事が起きる


身体は寝ても意識はあるけんね。





で、意識を霊と呼ぶがよ


やけん幽霊っておるろう。




で、人間本質は霊なものだから、肉体があろうが霊の生き方せないかん。


その霊が肉体を持って生きる専用の道が人道ながよ。



その人道をそれたら心に穢れを持って病気になる




心に穢れを持つとは、霊というものは透明な幕で人の形をしているんだが、その透明が肌色や灰色や黒に染まる事がある


それを穢れるといい、我が儘な者、自殺するもの、人を殺す者は墨を塗ったように真っ黒よ




これは心の状態は霊の状態ということを言いたいがね


私は裸眼でも見えだして人をまさに警戒しまくるがやけどよ(笑)





ここのブログはね、その霊を綺麗にしてやろうとしているのよ




その霊が曇ってそれが外に流れると、肉体がある。

その汚れが酷かった部分が病気にかかってしまってね


やけん病気はまず心を苦しめる事から始まるがよ。



やけん病気は気から


なが。






やけん人道は知らんといかんし、歩まねばならん




不幸にならんためのもっともな道じゃ。






それをねえ~




苦労してとったがよ。






やけんね、うちはスピリチュアルではないが。

スピリチュアルは多分喜びを集めて膨らませる事で人を明るくする方法をとりよるろう


けど、この世はいろんな事が起こる世やけん、うちは楽に生きれる道を教えるがやなくて、苦しい中を歩く道を教えるが。



まあ、それが人によったら楽な道を教えてくれてるんだねと感じかたでとる人もおるろうし




病気も不幸も災害も心の傷も、いくら神に拝んだところで一気に消える奇跡はないのだから、それなら、そんな中でも歩く道を






『イースと一緒に、キリストの人の道を教えて』



となんか言われたなあ

うちキリスト好きじゃないがって
理屈っぽくて綺麗事で。
悪いというわけやないけど、読むがに疲れるし
回りくどい
いかんことは、いかんって単発にいうたらええがよ。
それに仁義が感じれん
これはただ単に好みの問題やけど
それなら神道の方がハッキリしちょってわかりやすい
そもそもキリストより神道の方が次元が高いけんね。


あ、そんなこというて、モーゼにスサノウが出した神事の続きがキリストやと言いよったな
あんな回りくどいほんまに人間染みたこの世の政治的な戒律をだしやがって

面倒でたまらん。



かというてキリストの聖書一回も読んだことないがやけど





うちは仏教や神道の方がええがやけどね。



ぁあ、ユダヤ教もキリストに近かったか。










でも、考えよるわ



天道もまぜていくにはどーーーーーー説明しょっかなーーーーって(゜▽゜*)