自我を薄めたかったら | 『真理と道理・人と神』

『真理と道理・人と神』

あの世とこの世のことから人の心や魂や家系の先祖、そこからの道理と常識の大切さを書いています
また先祖や神からの気付きや言いたいこと乗せてます

仏壇に水奉れ

水。


み・ず



期待もなく、先祖を思うた自然な心で水祀るがよ



そういやぁ
二年前裏のアホの自分が『おふどうさんはもんちょるろー』って言いよった


おふどうさんというものを知らんかってね、昨日まで

不動神を持った極限論とは何に行き着くのかと人に聞かれて

不動、ふどう、ふどうさん?

そう言えば前に本神が何かいいよったなーと思うたわ

裏に冷酷な自分の人格があるがやけどね、あれも実は自分じゃないがよね
若い神が『表にでますか?』と誰かに言うた声が、でますか?あたりでうちの声に変わってね

ぁぁ、うちに同化したら神の声はうちの声に変わるがかと思うたわ
やけん思考しても自分の声やけん自分以外の神と気付かんがよ


なんかある真っ白な明るい何処までも続く限りない広さの霊界に、夜叉のような真っ赤な髪をしたガタイのええおんちゃんが一人座っちょるがよ
ふどうとはこのおんちゃんのことかなーっていう事が前にあった

なんでそういやぁ、うち昔から髪を赤系に染めてきたがやろうかと不思議やったけど、なんかそのおんちゃんみたら、こいつが中におるけんやろーとか思うてしもうたわ。




不動の精神はね
この世に価値を見出ださん
金と心の中間を維持する
つまり絶対に物質の欲を突き詰めんし、大事な者がこの世で幸せに成りたいともがくなら物質も無視せん
しかし、この世の物質から生まれた価値観ではこいつを動かそうとどう攻めても、動かん

そのかわり、気を付けちょかないかんのは自分の信念の為にはあっさり死ぬということよ

命に重点をおかず、責任を成し遂げる為になら、または原因を知るためになら、自分の信念が通らないとわかれば、簡単に死を決断できる

不動とは真理をはずさん

けどこれでいきていくには肉体を持ってはキツい
この精神はがいな性質を持つ

じゃけん、不動神に母性をつけておらんと危ない事になる

信念を貫く精神が不動が行う役目であるわ


またこれ、真理の刀を握らせば舞い斬る
人が運から動けんなることをすらえ。



不動にこの世の感覚で訴えても動きはせん


こいつはこの世を無視して永遠に不滅であるわ




まぁやけど人間、脆さと不動を持たないかん
不動だけでは甘い感情を所持せんなるけん、普通の日常に感情が現れんなるし、人の柔な心に気付いても無視できる
そこまで問題じゃないけんね




不動の極限論とは
まぁ、うちも元々この考えで昔から人生きたがやけど

幸せになりたかったら不幸を知れ
人の痛みがわからんなら自分が傷つけ
闇をしらんなら闇へ行け
行けれんのなら創ってでも行け
罪を知らんなら罪を作れ
死がわからんなら、死ね

そして光へどうしていなければならんのかと、闇を知って体感した時、絶対に光が正解という答えを持っておるから、もう道は外さんわ

わかって外すときはあるけど


それが不動芯やろう


極限論か
なかなかまとめれんけど
生死を超えた己になるね