動物霊というのはね、元々人間の想念がより集まったものでね
でもある一つの感情の想念なのよ
つまりね、蛇というものは
妬み、嫉妬、ひがみ、等の相類の念が一定量を満たした時に一つの意思をもつのよお。
狸や狐共もその手の類いよ
利己や我欲、物欲、それぞれの感情想念が集まり個として出る
あの世では、人間が生き想念を燃やす中で絶えず邪悪を生み、人間が生きる事でその邪悪は生命を保つ
しかしね、あの世は高い神性なものから生まれてきておるが、この世は下等な物から写りでた世
先に肉身を持ったのは感情も乏しいアメーバ、それから魚介、陸地に上がり動物となっておる
程度が低いほど霊子は粗く物質に姿を現しやすい
神というものは霊子が繊細すぎるゆえに人間の肉眼では見えん
ここへおるのに見えてないのが人間よ
その内側へおるから見えないというのもあるのだがね
その為この世では人間が最後にできた芸術品よお
聖書では動物は人間を造るために失敗したものがそれであるとしているが
ただの過程に過ぎん
失敗ではない、人間の感情すら人間ができる前にあの世に存在していたよ
そして人間の体には天国の霊と地獄の霊を宿らせ、今の多次元の感情を持たせている
いきたければどこへでもいけばよい
天国へも地獄へも
お祓いなどというもので己の邪悪を祓うなど、己の感情を払い除けるといものと同じ意味であるわ
だから100%の浄霊は人間にできんといいよる
その神の浄霊の仕方が死なのだよ。
死とは肉体が無いために、邪悪と自分の本霊と死後霊界で分離する
その為に邪悪を生む過程をなくすのだ
神がやる禊ぎを人間がしてしまうと、その因果をその魂は背負うようになる、その為に己も死ぬようになるからさせん
これはその因果をもつ神がやればよいことだ
私はそんなもん関係なく、やるがね。
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