念と回忌 | 『真理と道理・人と神』

『真理と道理・人と神』

あの世とこの世のことから人の心や魂や家系の先祖、そこからの道理と常識の大切さを書いています
また先祖や神からの気付きや言いたいこと乗せてます

質問頂きました


〇お通夜、葬式、初七日、四十九日は亡くなった方に意味があるのか


とまとめさせてもらおうか
これ本人の生前の生き方と考え方によって個人差が当たり前のようにある

死に際って大事で受け入れて亡くなるか、残念に思いながら逝くか、わけわからず突然死かというほどに
それぞれが葬式しても違う

年齢差もあるろうし魂の器の度合いもあるろうし、それで霊体の状態も違うろうし、一番は霊体の状態によるがよね


まぁ、しかし儀式というのはやはり家系の霊界に影響して亡くなった本人だけではなくて、家系全体の先祖供養にもなる

別に葬式する前から上に上がるがもおったら、四十九日すんでも家におるがもおる
葬式見届けて納得して上に行くがもおったら、たまにおりてくるがもおる

ただやはり段階があるのは、霊体と魂の仕組みによって行われる段階やと思う

魂とは生きとるうちは霊線から神仏よりエネルギーが送られとるわけよ
死んだら霊線切れてエネルギーを送られる必要がなくなるがね肉体ないけん
そしたら肉体離れたうちは死ぬ前に蓄えたエネルギーが霊体に残っとるわけよ

そのエネルギーが持つのが四十九日と言われていてね
それが四十九日の間に段々少なくなるわけよ
そしたら本人苦しくなるらしくって、なくなる寸前にもがいておったらどっかから光が見えるらしいわ
んで、苦しいものだから寄っていったら吸い込まれて、そこがあの世だったという説もある

それって強制終了みたいなもんよね


それで四十九日ながやろう


けどケースバイケースやしねえ


執着や無念もなく霊体が軽かったら、葬式見て人の悲しむ姿や見送りに素直に死んだことを認め心諦めて上がるがよねー
結局段階というのは、人間の成長段階にそうてやるようなもんで、死人には死人への上に上がらせる精神の受け入れ段階があってその手順が、通夜、葬式、初七日、四十九日やと思う


やっぱ肉体の成長段階とは違うし、これは発育期に精神論に基づいて判断したらええことやけど
死人には死人向けの精神論が葬式の流れやね

それは霊的根拠があってのことやけど


やけど、思いやりって大事で本人死んでも葬式の場におらん時もあるし
思考や心で呼び掛ける事が大事ながよね
葬式することで皆集まってでかい念で供養する気持ちは本人を後押しする

結局生きた子孫が思いを馳せる行事でもあるし、その思いが亡くなった本人を助けるし、儀式は霊体の摂理におうた流れやしというところか


でかい葬式がええわけやない
でかい子孫のありがとう、お疲れさま、が必要ながよね
まぁ、子孫は人間やけんでかい葬式とでかい金を出したらそれほど気乗りして拝むけん効果がでかいとも出るときもあるわな

かというてでかいからええだろうと言うのではでかくても意味がないというね

霊は金ではなく心しかもらえんからのう
でかい葬式も意味がないときがある
ただ人は集まるけん、本当の気持ちを持った人物もようけくるということで、無駄ではないわな


やけんうちらーは成仏さすときに「もうええかげん上がらないかんろー!死んでから金金言うもんやなーい!死んでから店もないにどこで何買うがーー!!」って言うちゃるがよ
見えるけんその存在を的確に捉えて人に言う意識と同じようにいうがねー

でも普通の人みえんけんわけわからずに拝むやいかー
おるって認識したり、確信や信じて言葉を投げ掛ける事は本当に強い供養になるがねー


葬式の引き出したいものは、この意識ながってね



まぁ、うちの話がわかる人はそこらの人より供養できよると思うよー
じゃないとわからんものこんな話し



やけん葬式って先祖に伝わります

それに子孫が葬式にそうて供養するその精神の捉え方が、先祖が心残りがあってあたふたしよる時には、代わりとなっておるときがあるし

子孫の想念って先祖と繋がっておるから、先祖がもんもんしよる時は子孫が供養された気になってやったら、肩代わりして先祖に届くんじゃー

供養された気になる波動が霊体に伝わって先祖を上げるがよー


霊を上げるとは成仏させる想念があるし、その波動で上げるがね
その想念を子孫に出させるのが葬式なが♪






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