真の己は挑戦から知る | 『真理と道理・人と神』

『真理と道理・人と神』

あの世とこの世のことから人の心や魂や家系の先祖、そこからの道理と常識の大切さを書いています
また先祖や神からの気付きや言いたいこと乗せてます

まこと(真・信・誠・慎)

まことの己とは

素ともいうわねこの自分


普段の意識のまだ奥に潜在意識と呼ばれる意識があってね
これ魂の自分で魂からの視点をもつのよお


普通この潜在意識というやつは顔をみせんのよ
潜在意識がこの世で形として現れておるのが良心と道理道徳、もしくは真理よ


やけん真の己というのかもにゃあ


本来われわれはこの潜在意識にもとずいて生きておるのよお
そのために、これは良心の塊であるがため、人というものは本能的に絆を求めるがゆえに裏切られたら傷つき、嘘をつかれると不信をもつ生き物


本能に人との繋がりを意識せずとも持ちたいという欲求があるために、さまざまな事に痛み迷う

これがなければ傷つきも迷いも不安もなにもわきゃあせんよ



さて、潜在意識とはこの世の物事に簡単に左右される意識ではない
常に答えを持っており迷うこともない
そして不安もない
踏み出す勇気ももたない
先が見えているから勇気などいらない
決意も決断も不用
生きてやるべきこと、己の目的と方向性を確実に持っている


さて、ならばこんな楽な意識はないと考えられるのではないかな


ある意味
あるがままの裏ともいえよう

よくそこらで言われるあるがままというのは観念にとらわれんいうことよ
つまり人とは自分の都合に合わん出来事に苦を見いだす
いつも人間は自分の思いのままにならんことに苦を感じる

例えば職場で嫌いな者と働く憂うつは、嫌いな要素を自分が見いだし相手が自分の都合にそわんことで働くことを苦とする
しかし皆がその者から苦を見いだすわけではない、自分の都合を阻害すると感じる者のみその相手から苦を見いだすのよ

その感覚を観念に縛られるという


あるがままとはこうではないといけないというこだわりを捨てることから始まる

子供はこうでなくてはならない
社会では出世しなければならない
人気者であらなければならない
給料はこれこれ以上でなければならない

いわば自分を苦しめるのは思い込みとこだわりであるよ


それを取り払った状態を"あるがまま"というておる
しかしそれはある意味目的意識がどこにセットされるのかわからん状態ともとれる


流れに逆らうな、乗れ
あるがままをうけいれよとは
つまり雨が降り晴れてくれないとグレることは自分の都合にそわんというわがままよ
雨の日は傘をさして過ごすというのがあるがままを受け入れた状態よお

これが普通のあるがまま


しかしね
潜在意識とあるがままはちょいと違う

潜在意識はあるがままでおる状態そのものを選択し判断と決断を下す意識よ

つまりどこをあるがままでとらえ流れに乗り、どこをあるがままでは流さんと逆らうかの判断を行い己にさすのよお


あるがままに毎日働いていたら平社員のままよ

しかし上にたったり社長になりたければあるがままの毎日ではなれるわけもなく、普通以外の事に挑まなければならんのよ

その時、あるがままに乗っていてはできん行動が新たなモノへの挑戦というこっちゃ

そりゃあ何かしたいなーとおもへばあるがままの状態でも自然とチャンスはやってくる

ただチャンスはきても失敗や逃すというアクションがあるのがまたこれ人生よ



潜在意識はチャンスを持ってくるかこんか、どう何をするかの判断を行う
物事がきたのを偶然ととる感覚ではなく、偶然と人が呼ぶものすら自分の意識で呼ぶ事が可能と知っており自在に行えるという意識の状態よお



この潜在意識は自分が意識できん意識だからこそ潜在意識と呼ばれておるが


これ人生で何度も死ぬ思いと苦しみの窮地、限界の極限と悩みのドン底に落ちて後ろがなくなった時に不意に顔を出し判断する

そんな人生を繰り返し何度も顔を出すうちにいつの間にか潜在意識は表面意識になってくるのよお


そうなった時に全ての迷いは消える
どうすることが適切かわかって判断しておるからの



つまりな、経験が大事で大変な時こそ誰かのアドバイスや判断に頼らず自分で方向を選択し決めて人生進んでこそ、真の己に行き着くというこっちゃ



しっかりした人ととれるもの
頼れる者などは
人生で幾度も自分で選択して来ておるのよお
手探りの状態がおわっとるからのう
つまり判断と決断が多い人間ということじゃ



そんな者は気づかんだけで潜在意識が表面に出てきて生きておるわえ


ようこちらの話も通じてまともな会話ができる


そんな者と私は関わりたいがよね
楽なけん


今から生きる子は挑戦心と図太い根性と人を理解する優しい心という思いやりを持ってバンバン行ってもらいたいわ



自分で判断したことはには信念がもてるけんねえ





そして誰よりも真の自分自身を己が知るがよ




潜在意識って、敵がおらんかぜ

好きとか嫌いとか敵とか見方とか善とか悪とかの枠外の意識やけんねえ

これに戻れば敵も見方もないし仕組みがみえちょったら人を好きか嫌いかではなくどう動かすか使い物になるかという判断になってくるがよ

けどそれは矛盾したことに物としてみておるようで全てをなるべく壊さず生かす仕組みを作るためにどう動かすかという判断よ


すでにこの時点で人間的な感情らーないけど、人間的な感情という良心にて全てを生かす為にその感覚外となる
難しいワレになるわけよ



人格なんぞどーにでもなるがよ
いろんなことが見えたら。




必要あって不幸を呼び、必要あって救いをよこす


善悪陰陽統合とはこのことよ


うちらはね。











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