幸せの意味と安堵 | 『真理と道理・人と神』

『真理と道理・人と神』

あの世とこの世のことから人の心や魂や家系の先祖、そこからの道理と常識の大切さを書いています
また先祖や神からの気付きや言いたいこと乗せてます

幸せにならないかん


まぁ幸せって努力して続くものやけどよ
今ある当たり前のもんに感謝できる器用さと技は持った方がええぞ


あのねー気づいたよ

例えばね何かの犠牲になった時
世の中にはなりたくないのにならざるおえんこともあるやいか

これねえ
犠牲にした奴が悪いっていうけど
成った奴も相当悪い

因果がないとならんけんね


でもねえうちいろんな犠牲になったがよね人を助けないかんいうて


でもねえそのたびに皆が曇って真っ黒になったがよね

なんでやろうかと思うて今頃心の綺麗な子を見て理解した



人を不幸にすることをされてしかたないと受け止めたらね
相手の心は人を不幸にしたことで少しずつ曇っていく
これは本人の意識にない場合もある
責任転嫁して自分が人に擦り付けることに必死になったら、まさか責任を逃れたはずの自分が真っ黒に魂がなっていくなんて誰もわからんやろ?



人間の魂とは基本が良心で構成されておるあげく、自分がやったことは反ってくる仕組みがこの世には有る

良心に反して責任を逃れた自分を自分が心の奥では嫌い失望しておるのよお

残念なことに何年もやり続けたら引っ込み思案や暗さが性格に根を張る


光の元に顔を出せんなるのよ


影に住む住人になる
グレーゾーン



やけんね、犠牲になったやつは張り込んで幸せにガンガンなってやればええ

それがグレーゾーンの人間が立ち直る方法と手段


ひどい目に合わせた奴は人を傷つけたくせに一番は自分が傷つきよる


やけんその意味がわかるなら犠牲になるならちょっとやそっとの事で傷ついたらいかん。
嫌な思いせんと逆に幸せになったら犠牲というレッテルは剥がれ落ち、試練やったと変換される


かというて無視したり人の言うこと聞かんと自分勝手にいけと言うがじゃない

正道であり中道である道を通るならば思いやりをもたないかん

思いやりは七変化する
時に状況に応じて槍に変わり盾に変わり万能薬にかわり様々よ
なぜ仏教に怒る神に優しく救う神に阿修羅などとおると思うよ

状況に応じて思いやりという愛情は変化したのよ



人を救いたければ幸せになってやればよい

そしたら犠牲にしたものは安堵する



逆恨みがくるのではないか?
そりゃあ逆恨みをかうような見せつけの幸せをもったからだ





お前ごときが私を不幸にできると思うちょるがか?なめるなよ。


ぐらいに自信もっておりゃあ
誰も闇に入るもんは出りゃあせんよ


幸せになるには自立と選択と責任が伴う
これができんとグレーゾーンよ
自分が自分を悲観して

やけん日本人は幸せになる義務と責任がある

ただの幸せも本当の意味ではどえらいもんぞ





人は自分の表面の問題が本心を隠し、本当は一番何に後悔しとるのかをわかっとらん

自分が自分をあざむいておるに


しかも結局気付いていたとしても卑下している本心から目をそむけるために表面の問題を使用して自分に隠しねじれていき、時がたち自分でも省みた時にはわけがわからん状態になってしまうわや

これが常識外れにさせる
常識外れたことにも気付かんあげく妙なプライドを持っておるため
私はブチ切れる




まぁそれが理解できるのは、


九回の裏までやってみよ
えらいことぞ(笑)






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