「どうしたの~~?モーコさん?」
「あ~~~~~~!!モ~~~~~!!人が考え事している時に話しかけるな~~~~!!」
ブツブツとつぶやいていたカナエは、それが聞こえずに眉を寄せたキョーコの髪の毛を鷲掴むと、ワシャワシャとかき乱した。
「ちょっ、ちょっと、モーコさん!!」
「別にカツラなんだからいいじゃない。」
掴んだ髪は、黒いロングヘア。それを下女らしく結い上げていたのだが、カナエによってそれを乱されてしまった。非難の視線を向けてくるキョーコに対して、カナエは平然とした調子で言ってのけた。
茶色い髪のキョーコに似合わないと思っていたその髪色は、驚くほどキョーコによく似合っていた。
そのこともあり、少し癪に触ってしまったので、乱してやったのだが。
「あら、お嬢様。御髪が乱れてしまいましたわね。ですが、大丈夫。このチオリにお任せください。」
スチャリ、と髪を整えるセットを両手に持って現れた少女に、すぐさまキョーコの髪が元通りにセットされてしまう。
「チオリ、ありがとう。」
「いいえ、お嬢様。お嬢様付きの下女として、当然でございますわ。」
気配なく現れて、そして気配なく去っていく。
キョーコの正体を知り、王太子殿下が戻られてから現れるようになった、気配の読めない謎の少女の存在。
もはやカナエにとって日常の光景になりつつある、が。
「……あんたのところの屋敷の人間って、どういう訓練を受けているの?」
「え?訓練……?」
素人のカナエならともかく、以前、ウシオやセイジもチオリが突然姿を現したときには「うわぁっ!?」と間抜けな叫び声をあげたものだった。
他者の気配に敏感なはずの騎士たちにさえ悟らせない気配の消し方で現れる下女が、普通の人間と言えるわけがない。
……実家は王都で商家を営んでいる家の出の娘とキョーコから聞いているのだが……。身のこなしからして、普通ではないだろう。多分、実家とやらも普通の商家ではないと思われる。
「特に何もしてないと思うけれど…。」
「でも、さっきまで見えもしなかった人間が、突然背後に立っているとか、普通じゃないでしょ?」
キョーコ自身も、どうやら気配が読めているわけではないようなのだ。だが、キョーコはカナエがどこに疑問を持っているのかが分からない様子である。
「え?でも私も、それほど存在感があるわけじゃないし…。ローリィと一緒にいたら、大体『あら、あなたいたの!?』って、大概私もびっくりされる方だし……。」
「え~~~と。どういう基準で話をしているのか分からないけれど。……分かった、そのローリィって人は大分ヤバい人間ということね。」
そもそも、キョーコの存在感の薄さとチオリの気配を消して周囲にいるスキルはまた別の次元での話なのだが、それよりももっと危ない人間がいることが分かったので、カナエは話を切り上げることにした。
それに、こんな無駄話をしている時間はない。
そろそろ『彼ら』が通る頃なのだから。
「さ、それじゃあキリキリ掃除するわよ!!」
「はい!!」
『坊』の姿を解き、普段のお仕着せを着て掃除をするキョーコ。
だが、その髪色は黒。メイクの『メ』の字も知らないほど自然体で過ごしていた少女は、今日は謎の下女の手によって、美しく装われている。
黙って掃除をしている姿を見ると、カナエでさえ『キョーコ』とは思えない。
というよりも、普段が可愛いイメージのある少女だから、メイクをしても可愛い雰囲気が残ると思っていたのに、いきなり妖艶美人になるとはどういう顔面をしているのかと顔をしかめてしまいそうになる。
おかげで先ほどからキョーコに群がる悪い虫が大量生産されているところなのだ。
それもカナエのストレスの原因になっている。
キョーコには、恐ろしい隠密組織(?)が憑いているので、キョーコの身を案じる必要はないのかもしれないが、目の前で平和ボケした満面笑顔を向けられている身としては、汚らわしい視線を向けてくる周囲に腹立たしく思わないわけがないのである。
「……は~~~……。」
「?どうしたの?モー子さん。」
人の気も知らずに迅速かつ丁寧に掃除作業を進める友人に、魂が抜けるほどのため息を吐くと、キョーコは小首をかしげながら訪ねてくる。
……妖艶美人の上目使いの殺傷能力よ………
周囲でバタバタと何人か倒れる音を聞きながら、カナエは思う。
近い将来。この目の前にいる少女が王太子妃になろうがなるまいが。
……国が傾く可能性はかなり高いのではなかろうかと。
王太子妃になれば。
キョーコを嫁にもらった喜びに王太子が使い物にならなくなる可能性がある。
王太子妃にならなければ。
キョーコを得られなかった王太子が意気消沈して、国もろとも崩壊しようと変な力を作用させてしまう可能性がある。
どちらの未来も、ごめんこうむりたい未来ではある。傾国の美女とは、これほどまでに純粋そうな少女でもなれるものだと初めて知った。
「……まぁ、でも。あんたが幸せだったらそれでいいわ。」
「え!?な、なに、モー子さん、それ、私への愛の告白!?わ、私も、私もモー子さんのこと、大好きよ!!愛しているわ!!」
頬を染め、愛の告白をし、抱きついてこようとする妖艶傾国の美女を、右手ひとつで抑え込み、「はいはい」と適当に愛の言葉を聞き流しながらカナエは思う。
………幸せにする気があるならば、こんな簡単な試練くらい乗り越えてみせろ、バカ王子………
それは、カナエなりの激励の言葉である。