「ところで、今日は何を作ってくれる予定なのかな?」
「あ、そうですね。う~~~ん……。」
崩れきった俺の顔が珍しかったのか、まじまじと見つめてくる最上さんから視線を逸らすために話題を変えてみる。
今、目の前にあるのは米のみ(未洗い)。
それ以外の食材はまだエコバックの中だ。
「ちなみに敦賀さん。冷蔵庫の中身はどのような状況ですか?」
「…………………。」
「…………はい、分かりました。大丈夫です。別に何も申し上げませんから。」
「……言われないほうが怖いことって、あるよね……。」
『沈黙は肯定』と彼女に言ったことがある。
『はい』『いいえ』で応えられる内容ではないけれど、それでも黙っていることで気づかれるということは、同義と思っていいだろう。
そもそも、『食』に関することの問答において、彼女に勝てた試しはない。
言い訳とも言えない言い訳をしていたのはもはや過去のこと。
おにぎりの中の『おかか』や『しゃけ』は決しておかずにはならないということは、耳がタコになるほど言い聞かされているし、ちゃんと理解している。
理解はできているんだけれど、それがちゃんと自分の生活に反映できているかと言えば、そうでもないんだよな……。
「全く、どうやってその大きな身体を支えているんでしょうね?」
「消費エネルギーが少しで済む便利な身体なんだよ。」
「そう言っていられるのも20代前半までですよ。そこから一気にガタがきますからね!!」
「………なんだかものすごく具体的な年齢設定だけれど、君、まだ17歳だよね?」
「若い頃の不摂生はよくないって、女将さんや大将に言われていますから。」
「……………。」
最上さんの東京での親代わりともいえる『だるまや』のご夫妻。
彼女を慈しむ夫婦……特に大将には、なんというか……色々、思うところがある。
「最上さん。」
「はい、何でしょう?」
「リクエストをしてもいい?」
「え!?リクエスト!?」
コメを炊飯器の中からボウルに移していた最上さんは、まるで化け物でも見たかのように目を大きく見開き、しかも眼球を血走らせながら俺の方を見ている。
顔色は若干青い。
「ちょっとしゃがんでください、敦賀さん。」
「う……うん。」
恐ろしい悪魔を前にしたような表情で俺を見る少女は、なぜか俺の服の袖をひっぱり、少ししゃがむようにと促す。
それに応じて彼女と目線があうように身体をかがめると、そろりそろりと右手を俺に差し出してくる。
………場合によっては、こう…キスでもしてくれそうな距離感だけれど。表情が表情なだけにそれは絶対ないことだけは分かる………
願望と現実は合わないもので。
表情同様、行動もやっぱり願いとは違った。
まず最上さんは俺の額に手を当てた。
「……熱はなさそうですね。」
そして次に首へとそえてくる。
「……うん。大丈夫そうです。」
「……ごめん。分かっているつもりだけれど、ちゃんと聞いていい?……何をしているのかな?」
「え?いえ…風邪をひかれて、熱があるんじゃないかと思ったんですけれど。…お元気そうですね。」
「…………。元気だよ。」
それこそ、今すぐ目の前の皿の上で右手を伸ばして「食べて」と言っている獲物に食らいつきたいくらいには元気だ。
「だって、敦賀さんの口からリクエストだなんて…マウイオムライス以来でしたから。」
「そうだったっけ?」
「そうですよ!!いつも『なんでもいいよ』っておっしゃいますし!!」
何度か社さんの計らいで最上さんに食事を作ってもらったことがある。そういえば、毎回『何がいいですか?』と聞かれていた。
でも、俺は最上さんの手料理であれば何でも食べるし、何でもおいしいと感じている。作ってもらえるというだけで十分なのだ。
そもそも、俺は食に関してのこだわりがなさすぎるし、正直料理の名前も覚える気がない。目の前にある料理が最上さんの料理かそれ以外かぐらいしか関心を寄せるものがないのだ。だから、今後もコックの役でも回ってこない限り、自主的に料理名を覚えることはないだろう。
…いや、目玉焼きとか、オムライスとか、ハンバーグとか…カエルの姿焼きとかは分かるけれどね?あ、後、おにぎりと…サンドイッチと………あ、後、ソーセージだろ?ん?それは料理名じゃないか。…あれ、セツが作ってくれていた料理って、なんていうんだろう?
「あ、あの…つ、敦賀さん………。」
「ん?」
後、何かわかる料理はないだろうか、と記憶の中の料理の名前を思い浮かべていると、同じ目線の高さから最上さんがどこか怯えた表情を浮かべてこちらを見ている。
「お……怒っていらっしゃいますか……?」
「え?何で?」
料理を作るレパートリーどころか、名前を思い出すのにも苦労しているふがいない自分…を否定しようと必死に料理名を思い浮かべていただけで、怒ってなどいない。そもそも事実を突きつけられて怒るほど狭量ではないつもりだ。
「だ、黙ったままでいらっしゃるからてっきり……。」
「え?あ、いや。ちょっと考え事をしていただけだよ。怒っていない。」
「そ、そうですか……。」
ほっと息を吐き出し、安堵したかのように可愛らしく微笑む少女を前にすると………。
「………………。」
「!!!!やっぱり怒っていらっしゃいます!!??」
「いや。全然。全く。でも、ちょっと距離を取らせて。」
力の限り抱きしめたい。
彼女が「やめて」と許しを請うまで全身を撫で繰り回したい。
………うん。これ以上はちょっと自主規制ものだ。冷静になれ、冷静になれ……
「お、怒っていらっしゃいますよね!!??」
「いや。大丈夫。己のふがいなさを改めて実感しているだけなので。それよりも、リクエストの事だけれど。」
「!!はいっ!!」
これ以上の問答は無用とばかりに話題を転換すると、彼女は一瞬でそれにのってきた。
というより、料理の『リクエスト』という言葉に敏感に反応したという感じである。
「?やけに気合が入っているね。」
「うふふっ、だって、敦賀さんがくださるリクエストなんですもの。」
今までに見たことがないほど瞳を輝かせて俺の言葉を待つ少女。
その原因が分からずに問うてみると、嬉しそうに微笑まれた。
「いつも『美味しい』って言ってくださいますけれど…。食べたいって思ってくださるものって、聞いたことがなかったので。」
「……………。」
「敦賀さんには、食べたいものを、美味しく食べてもらいたいんです。」
「……………。」
ほんわりと、穏やかな笑みを浮かべる目の前の…女性。
少女とは言えない、どこか母性さえも感じてしまいそうな包容力のある温かみ溢れる微笑みは、愛おしいとともに、尊いものに思える。
「じゃあ、毎日リクエストをしていいかな?」
「え?」
「俺が食べたいものを、毎日伝えるから。そうしたら、毎日作ってくれる?」
温かな料理が並べられた食卓を囲む情景。
それは、暖かな『家族』の象徴。
それを彼女と、築いてみたい。
そんな『幸せのカタチ』を思い浮かべた俺は、思わず、そんな言葉を口走っていた。