「ちょっ!!??ちょっと待ってください~~~!!!」
「夜分に失礼するよ、コレット。それからハー様にカロン。」
ハデスとコレットの唇が触れる直前。
突如、屋敷内が騒然となり、制止するコレットの弟子の声と、それをものともせずにコレットの部屋の扉を開け、侵入してきた人物の登場に、室内に流れていたほの暗くも甘美な空気は霧散してしまった。
「こんばんわ。いい夜ですね、ハー様。」
「…………。」
「あ、アポロ…「うわ~~~~!!??ちょっとあんた、コレットさんに何しているんだ~~~~!!!!!」」
突如として現れた人物は、天界の神。様々な能力を持つゼウスの子。
悠然と立つ彼の背後から室内を覗き込んだセラは、今度はコレットに覆いかぶさる男の存在に、顔を赤くしたり青くしたりとせわしない。
「まぁまぁ、お弟子君。大丈夫。まだ何もしていない。まだ。」
「まだもクソもないでしょうが!!あんた、さっき大丈夫って言いましたよね!!??あの男、覆いかぶさってますよ、至近距離ですよ!!大丈夫じゃないじゃないですか!!!!!」
「う~~~~ん、それはごめんなさい。でも、ほら、まだコレットは人間だし。」
「人間なのは当たり前でしょう!!??」
「えっと……じゃあ。清らかな乙女のままです。大丈夫。」
「当たり前でしょう!!それにしたって、病人に何やっているんだ、あんたの主人は!!」
「え~~~……そんなに怒るってことは……もしやお弟子君、コレットに気があったりするの?」
「なっ!!!??そ、そんなこと、ありません!!コレットさんは俺の師匠です!!」
ギャーギャーと賑やかになる部屋の入口。
そんなコレットの弟子とハデスの家来のやり取りを無視して、室内に入ってきたアポロンはハデスに微笑みかけた後、後ろでなおも言い合いをするセラに声をかけた。
「私は薬師だ。君の師匠を助ける薬を持ってきた。」
「え!?」
「君の師匠には私が留守中、世話になったことがあってね。彼女の体調が悪いと知って、急ぎ駆け付けたんだ。」
「そ、そうだったんですね、ありがとうございます!!」
その言葉を受け、セラの表情が一気に明るくなる。
「飲み薬なんだけれどね。…おや、薬飲み器がないじゃないか。ハー様、口移しで与えちゃう?」
「バカなことおっしゃらないでください!!ありますよ!!すぐお持ちしますから!!そこの人、コレットさんに不埒な真似したらただじゃおきませんからね!!」
懐から取り出した瓶をハデスに向けて笑顔で突き出すアポロンの手から、瓶をひったくり、セラはハデスに釘を刺した上で部屋を出ていった。
「……………。」
「おや。ハデス様の呆気にとられた顔なんて初めて見ました。貴重だなぁ。」
面白そうに笑いながら、アポロンがハデスの横に腰掛ける。
「コレットは柊の友人ですし、私の留守中を任せることができる貴重な人材です。みすみす死なせるわけがないでしょう?」
二コリ、と笑ってみせるアポロンを、未だ働かない頭のままにハデスは見つめていた。
「しかし、人間とは本当に脆い存在ですね。こんなことで永遠に失われてしまうとは。」
アポロンの視線がコレットへ向かったのを受け、ハデスもコレットを見つめる。未だ意識はなく、呼吸は浅い。顔色も血の気が失せていて、とてもいつもの元気なコレットと同一人物とは思えない。
「………元気に、なるのか……?」
「もちろんです。一瞬で元気になる薬を調合してきました。ご心配には及びません。」
生命の輝きが失われつつある少女。
それを前にすると、天界の薬師の腕でも、どうしても問うてしまいたくなる。
「すまん。当然のことだな。」
だが、カロンを救った腕を知っている。天界でどれだけの神々が頼りにしているのかも分かっている。その神を疑う言葉など、本来出てくるものではないのだ。
「いえ。大事な者のことなのです。私どもには理解できないことですが…死んだ人間は、二度と戻らないのでしょう?そういう存在を、懐に入れてしまっては不安になって当然です。」
「……………。」
死が訪れない神には分からない、『永遠に失われる』ということ。
ハデスは幾度も繰り返される『死んだ』人間と『生まれる』人間の魂を見つめてきた。
平等に、人の死を見つめてきたというのに……。
………今、胸に広がるこの想いが、『不安』というものなのだろうか……
「私はね、ハデス様。コレットを救いに来たのではなく、あなたを救いに来たのです。」
「私を…?」
「えぇ。」
病に倒れたコレットではなく、ハデスを救いに。
「だって、ハデス様。私が来なければ、彼女を冥府に縛るおつもりだったでしょう?」
「……………。あぁ。」
「人であるコレットを、冥府の住人にしようとした。そうですね?」
「そうだ。」
ハデスが口移しで与えようとしたのは、冥府に存在するザクロの木から採れた実。
「冥府で採れた物を食べた者は、冥府から二度と出られなくなる…でしたか。冥府が神々から恐れられる原因の一つです。」
「……………。」
『変なガイコツが喋っているし、暗いし、こんな朝だか昼だか夜だかわからないとこなんて』
―――頭がおかしくなる…っ―――
それが当たり前の感覚。
冥府に朝はなく、昼はなく、夜はない。
家来も冥府に存在するガイコツを除けば元ニンフのカロンのみ。
そんな場所から二度と出られなくなるのは、どれほどの恐怖となるだろう。
それでも、コレットは……
―――冥府は、明るくていいなあ―――
「まぁ、この娘にとって、冥府が恐ろしい場所ということはないんでしょうけれど。」
「………。そうだな。」
イキイキと、ガイコツどもと喧嘩をし。
ケルやベロやスーを抱っこしたり撫でまわし。
カロンと共にくだらない話をし。
針子と共に植物の話や装飾品の話を楽しむ。
冥府に暮らす者を見つめる瞳はいつもキラキラと輝き、好意が一瞬で伝わる。
……ハデスを見つめるその瞳は、いつもまっすぐで。いつか受けた陽の光などより、眩しく、美しい……
このような娘は二度と生まれない。
例えコレットが新たな生を受けて生まれたとしても、それはもはやハデスの知る『コレット』ではないし、賜る名も『コレット』ではないだろう。
それは魂を同じとしても、きっと同一とはなることができない存在。
……『コレット』に、替えはきかない……
ゆえに。消えゆく魂を前に。
冥府の住人にしようとした。
ガイコツたちのように。
カロンのように。
ケロやベロやスーのように。
ハデスから離れていかない、いつまでも変わることなく共にいられる存在へと。