障害の受容って何だろう? | 発達障害と診断されても大丈夫です!!
今日は、子どもの発達障害を親が受容することについて
書いていきます。


最初は、一般的に世に言われている
「対象喪失の受容」過程について書きますね。


何で、この話が必要かというと、

例えば、ジェットコースター

必ず決まったコースを辿り、
安全なところに着地すると分かっているから…

怖いながらに楽しめたり、
身をゆだねたり出来るんですよね。


これって、結構大事なことです。

激しい感情の波

が訪れた時には、
自分の中心アンカー
を置いて
感情の波に身を委ねた方がいいのです。


例えば、誰かを守る為に、私がしっかりしなくっちゃ…
最愛の人が亡くなった時に、
自然な悲しみの気持ちを押さえ込んでしまって、

過度に気丈に振舞ったり
してしまったとするでしょう?

そうするとね、後で、閉じ込められていた悲しみの感情が
発散されずに残っているから、
いつまでも、いつまでも、
心身の不調を長引かせたりするんですよ。

こういうのを、心理療法では、
ディレイト・モーニング(遅れてきた悲哀)って
言ったりします。

例えば、兼ねてから発達の遅れや偏りが心配だった
お子さんに、とうとう、確定診断が下りました。

「お子さまは、自閉症スペクトラム障害です…」
なんて時に…

(どうやら、知的障害の場合、親は順調な療育が始まると
安心する保護者さんが多いらしいけど、
高機能自閉症の場合、謎が解けたということなのか、
確定診断だけて安心して腹が据わる傾向があるようですが…)


しっかりお子さまを支えるために、泣いちゃいけないとか、
パパはパパで、妻が動揺しているから、
自分は動揺してはいけないとか…

それぞれが、家族を思い遣るあまりに、
正直な感情を表出できない
局面が
訪れるかもしれないですよね。

それは、感情の波
に飲まれたら、
戻って来れないかも知れない、
しっかりコントロールしておかなければならない…と
怖がっているからなんだと思います。

今日、言いたいことは、
大丈夫、感情
は、安全な場所で、
ちゃんと味わい受け止めることが出来たら、
必ず潮の引くように消えていくし…

回復、あるいは成長といっていいような
内面の変化を私たちにもたらしてくれるもの
・・・(↑ちょっと言いすぎ?)かもしれないから、

味わうべき時には、
ちゃんと味わって大丈夫だよって、
言いたいのです。

現代人は、怖いことがあった後、
野生動物のように震えることで緊張を解除することが、
社会的経験があればある程、難しくなっているでしょう?

トラウマ解放エクササイズ(TRE)←みもざは、本を一冊
              読んだだけだけど、こういうことはあるような気がします

の本には、トラウマを受けても、その後に十分震えられた
鼠ちゃんは、トラウマを受けていない鼠ちゃんよりも
ずっと強い…みたいなことが書いてありました。

感情は、身体反応を伴った生理的反応でもある訳だから、
全身で感じて、感じきって解放していくのが
自然なことかもしれません。
(EFTのように、苦しい感情に向き合う時間を短くする方法は
あると思いますが、基本、自分自身の感情を受け入れることから、
癒しは始まるとみもざは考えています。)


だから、この
感情の波が、
行き先の定まらぬ漂流船ではなく、
必ず安全な場所に戻ってくるジェットコースター
だと知って…

安心して感情を受け止めて頂くことを目的として、


幾つか、既に示されているロードマップ
ご提示していこうかと思います。


まず最初に、
キューブラ・ロス死の受容過程
↑福祉系・心理系出身の方にとっては古典中の古典かも

末期癌の、余命いくばくかと知るようになった患者さん達の
心の変化を五段階に纏めています。

                          (詳しくは、ロス著「死ぬ瞬間」シリーズ)

①否認: 自分が死ぬということは嘘ではないかと疑う段階

②怒り: なぜ自分が死ななければならないのか
                  という怒りを周囲に向ける段階

③取り引き: なんとか死なずにすむように、神さま等と
 取り引きをしようと試みる段階 何かにすがろうという心理状態

④抑うつ: 何も出来なくなる段階

⑤受容: 最終的に自分が死にゆくことを受け入れる段階



まあ、みもざの場合、これは結構当てはまりました。

私が子どもの障害を確信した時(今日から出来る親子遊びつき)
に書いたように、RDIのステップ0が出来ていないと確信した後も、
療育相談の前日まで、


「もし、療育相談で、お母さんの気にし過ぎです。
何の問題もありません…
と言われたら、私、嬉しいかなぁ?」
とかって、繰り返し考えてしまう自分がいました。

嘘だと思いますか? 本当なんです。
自分でも、頭がおかしくなったんじゃないかと思うんだけど、
繰り返し、そんなことを考えてしまうんです。


「いやいや、だったら、
この子の、この不可解なところは何なんだ?
何でもない訳はないし、原因も打つ手も振り出しに戻って
全て探しなおしとなっても、逆に凄く困るだろう…」


そう、思いなおしては見るのですが…

みもざ、ロスの「死の受容過程」は知っていましたから、
「本当に、否認ってあるんだなぁ…」とは、思っておりました。


療育相談では、案の定、
ばっちりウイングの三つ組を満たす
子どもの行動観察所見
と共に
「自閉症スペクトラム障害です」確定診断を頂きました。

↑但し、みもざは、この時点で、確定診断だったとは気付かず、
その傾向があると言われただけだと受け取っていたみたいです。
就学前の主治医との話し合いで、あれは確定診断だったのか…と
遅ればせながら気付きましたが、障害の受容ってホント難しいと思います。



この行動観察所見というのは、
知能検査の際の子どもの行動を専門家三人が観察した上で
合意された内容です。


夫と私は、その間、同室でケースワーカーさんと面接し、
問診に答えていましたが、

子どもの行動としては、
いつも目にする不可解な部分が網羅され、
診断が納得いくと共に、

非常に分かって頂けた安堵感がありました。

やっと、見えない不安
対処可能なものに落ち着いた感覚がありました。


ですが、この後に、かつて無い
怒りのフェイズがやってきました。

それまでは、結構忍耐強い母親だったんですよ。
自分で言うのもなんだけれども…

音声の模倣が苦手なわが子の間違いは指摘せず、
「そうね」と受け止め、
正しい発音をゆっくり3回位「~ね」と聞かせるとか…

子どものオーダーに、全速力で応じようとしながら、
こちらの動きも気持ちも全く察することがなく、
非難がましく早く持ってきてと騒ぎ立てる子に
「はい、どうぞ」と明るく応じたり…

そんなことは、別に威張れたものではないかもしれないけれど、
内心怒りを感じていたとしても
表面に出すことはあまりなかった…
ということだったかもしれません。

ところが、確定診断を受けてから10日位の間に、
段々怒りが湧いてきて…

日常的に繰り返されてきた今までと同じことを
子どもがすると、
それはそれは、もう、物凄い怒りが全身に湧いてきて
脳天が白くなって…


↑当時は「腹は立てられず」、「怒りで脳天が白くなって」ました

心の中で叫んじゃうんですよ!!!
「だから、あんたは、
      自閉症スペクトラムなのよ!!!」
って。

って、確定診断を頂いたんだから、
               当たり前じゃないですか?

そういう意味ではなくて、
かつてなく差別的・侮蔑的感情を込めて、
思い切りの否定的ニュアンスを込めて「馬鹿」とか「気違い」とか
言うような感じで…

みもざ、自分で言うのも何ですが、
怒りを妙に抑圧してきてしまって、
怒るべき時にも怒れないというか…

人さまに、そんな侮蔑的言葉を頭から浴びせたいとは、
まず、思ったことがないというか…

そういうタイプの生き物だったんですけど…


その時は怖かったですねぇ…
人さまには、どうあっても向けられないような
とんでもない怒りを、
わが子になら向けられてしまうんだなぁ…

マジ、怖かったです

発達障害を抱えたお子さんが虐待に遭う確立が
                定型発達よりも高い…とか

虐待は受けても、攻撃性が表面化していなかった人が
自分の子どもに対しては怒りをコントロールしにくくなる
場合もある…とか

 ↑大半の被虐待者(特に女性)は、虐待を繰り返さず
  思い遣りの深い親になられておられると思いますが…

そんな怒りのフェイズが到来し、
どうしたって、雰囲気として漏れ出ていたと思われますが…

これも、二週間目に入り、徐々に治まって行きました。

そんな頃に、療育センターの初診日が来ました。


療育相談から今日までの、自分の気持ちの変遷を話しながら、
みもざは涙を流していました。
聞き取ってくれた担当のケースワーカーさんも、泣いていました。


これによって、みもざは、かなり癒されました。



取り引きのフェイズは、
もしかしたら、療育だ、ソーシャルスキルトレーニングだ、
感覚統合だ、ブレインジムだ、ヨガだ、学習支援だ…
という名の下に、今でも続いているかもしれません

みもざの場合、確定診断を受ける前に、
高額の乳幼児向け教材を買ったことがありますが…
これは、取り引きだったかな?と思いますね。

もし、これらをつかって、楽しみながら、
沢山脳に刺激を与えてあげたら…
この子は成長して、不安な部分も皆に追い付くんじゃないか…

そんなことを思って、ローンを払っていたことがありましたから

非現実的な障害の消失を夢見なくはなっても、
自分たちの生活の質が向上するように、
必要なスキルを身につけさせ、子どもを自立させようとする…

そういう意味で、
「障害の受容なんて、あり得ない」って言われる方も
いらっしゃいますよね。

キューブラ・ロスの他に、
有名な障害の受容過程の理論を挙げておくと、


同じく、よく引用される段階説としては
Drotarの
シッョク、否認、悲しみと怒り、適応、再起の5段階説等が

あります。

段階説は、概ね、
①最初の危機反応、②持続する感情と反応、③適応と受容の
3つの部分からなっています。

それに対して、

障害や病気のように慢性的に続く状態に関しては
常に悲しみが顕在する訳ではないが、
内側には慢性的に悲哀の感情があるとする慢性悲哀説
というものもあります(Olshansky、渡辺)。

慢性的悲哀を正常な反応として認めることで、
親に乗り越えることを強要し、自然な感情表出を妨げることに
対するアンチテーゼ的な意味があったと理解しています。

また、Coplyの慢性的悲哀説に段階説を取り込んだ
螺旋形モデルというのもあります。

みもざの実感としましては…
どれも、あてはまるんですよね…

それで、いつも穏やかに子どもの抱えている発達障害に
向き合えているか?というと、そうでもないけれど…

言えることは、障害の受容じゃなくて、

障害も抱えている子ども全体の受容だったり、
発達障害を抱えている自分全体の受容だったり…

そういうことだと思っています。

完璧な人は居ないし、
欠点と思われるところが全くない人も居ないかもしれませんが、

それを欠点だ、駄目だ…と捉えてしまうか、
確かに、そこは苦手だけれど、こうしたら出来るし、
何よりも、自分にはそれだからこそ分かる世界がある…とか、
可能性に焦点を合わせるとは大事…


でも、その前に、
怖がらずに、感情の波を受け止めて、
身を委ねてみてもいいのではないでしょうか?


身体を硬くして、感情が溢れ出すのを押さえ込もうとすれば
その辛い感情は、いつまでも、私達の身体の中に溜まっていて
あり続けることでしょう。

新たに悲しみが湧いてきたら、それはそれでいいから、
その都度、感じてみてはいかがでしょうか?

あまりにも辛かったら、

左右どちらかの鎖骨の下の、
揉むと痛気持ちいいところ

を優しくマッサージしながら…

辛い気持ちを全身で感じてみてください。

ジェットコースターの時間が濃縮されて、
早く楽になるような気がしませんか?


やがて、ふっと、その感情が消えたとき、
視界が明るくなって、
喜ばしいことが輝きを増して感じられるかもしれない…と
みもざは思います
 

最後まで読んでくださって、ありがとうございました。


追伸:みもざが実践した、
子どもへのパニックへの対応をレポートに纏めました。
確実に効果があり、自分にとっても、子どもにとっても、
良かったと実感している方法の体験レポートです。

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みもざ